カサンドラ妻が発達障害夫との離婚を決意した「恐怖の一夜」

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やたら他人と揉めてしまう理由

 実は私は、結婚するまで人間関係で大きな苦労をしたことがなかった。正確に言えば、母親とのコミュニケーションには苦労したがそのおかげで他で困るようなことがなかった。母とのやりとりで鍛えられたので、人の話を遮らず聞き、意見は決して否定せず、けれど不本意な同調もせず、控えめに自分の気持ちを伝えるという傾聴の型を10代の早いうちに身につけていたからだ。

 だから、たとえ相手に問題があったとしても仕事で大きなトラブルを起こしたことなどなかった。プライベートでもそうだ。癖のある友人たちに囲まれていても上手に付き合ってこれていたと思う。「あの人、ちょっと変じゃない?」と言われても「付き合ってみれば面白いところが見えてくるタイプよ〜」と橋渡しするのが私の役目だったはずなのに。

 ところが、知らず知らずのうちに、私は人の話を否定せずに聞くことができなくなっていた。それどころか意見の相違点をはっきりさせ、相手の選択のデメリットをことさらあげつらうような話し方になっていたのだ。周りからすれば、なぜそのような接し方をされるのか意図がつかめずさぞ不快に感じたことだろう。

 今ならそれが夫とのトラブルを最小限に抑えるためのやり方だったことがわかる。夫には、考え方の違いを明確にし、彼のやり方で想定されるデメリットを全て伝え、今後起こりうることを可視化した上で選択を促し、その選択の結果、何があっても私には関係ないと全力で伝えることが必要だった。そこまでしないと彼はなぜか、彼自身の極めて個人的な選択の責任が私にあると誤認してしまい、失敗が私のせいだと思うと余計に苛立つようで、最終的に怒りで我を失ってしまうからだ。

 けれど当時は無意識である。求められるのでもなければ、人の選択にはあれこれ言わないのが大人のマナーだ。相手の領域には立ち入らず、その人の決断を尊重し、結果が良くなくても責めたりせず、お互いできる限りフォローしあうというのがいわゆる真っ当なコミュニケーションだろうと思うが、それが全くできなくなっていた。それどころか何か問題が起きれば「私のせいじゃない」と真っ先に主張しなければ怖くていられなかった。

 だからちょっとした問題で取引先と揉め、友達と揉め、仕事も友情もいくつも失って、余計、人間不信に拍車がかかる。

 何をしても楽しくない。ポジティブな感情が持てなくなるほど追い詰められて、そこでやっと夫に対しても、彼のことを全く好きじゃなくなっていることに気付いた。これっぽっちも。最終的に自分の中に残った感情は怒りだけで、もののけ姫のタタリ神を見て、まるで自分のように感じたことを覚えている。

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