イスラーム教「ラマダーン」で「糖尿病」と「妊婦」への留意点

国際Foresight 2019年7月1日掲載

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【筆者:森田知宏・内科医】

 6月3日、今年の「ラマダーン」が終わった。ラマダーンは、イスラーム教の断食を行う月として知られており、今年は5月5日から6月3日までであった。よく知られているように、ラマダーン期間中は日の出から日の入りにかけて飲食をせず、人によっては唾液すら飲み込まない。

 ラマダーン期間中は宗教的に厳正な暮らしを送ることになっており、飲食だけでなく、喧嘩や悪口、喫煙や性欲を抱くこと(あくまで日中に限る)に至るまで禁止されている。

 日本に留学しているイスラーム教徒のバングラデシュ人大学院生は、普段なら牛肉を抵抗なく食べていたが、ラマダーン中だけは「ハラール」と呼ばれる、宗教的な手続きを経た上で処理された肉を食べたいそうで、その入手に腐心していた。また、「肌の露出が多い日本人女性が目に入らないように苦労している」と、打ち明けてくれた。

 このラマダーン中の断食が、健康に与える影響について紹介したい。

「ガイドライン」の存在

 意外にも、ラマダーンの断食が健康に与える影響は、あまり明らかになっていない。おそらく、日没後にとる行動の自由度が高く、多様だからであろう。ラマダーン中は日没後にたくさん食べるから太る、という記事を日本語ではよくみるが、過去の研究からは必ずしもラマダーン後に太るわけではなく、「体重が減る人もいるが、全体でみると変わらない程度」である。

 また、これまでの各種報告をみると、現時点では一般の人の健康に大きな影響があるとは考えにくい。トルコ・イスタンブールにあるマルテペ大学の医学博士 Fehime Aksungar氏らの研究によると、ラマダーンの断食後の血液検査では、いわゆる善玉と呼ばれる「HDLコレステロール」の割合が増えると報告されているものの、それが心筋梗塞などの発症に影響があるとまでは言えない。

 一方で、ラマダーンの影響を大きく受けるとされているのが、糖尿病患者と妊婦である。

 まず糖尿病については、低血糖のリスクが上がる。レバノンにある名門ベイルート・アメリカン大学のIbrahim Salti 医師らは、13カ国のイスラーム教国家を対象とした大規模調査を実施し、断食中の低血糖リスクは「1型糖尿病」(子供や青年に多く発症)では5倍、「2型糖尿病」(中高年に多く発症し、糖尿病の95%以上がこの型と言われる)では7倍へと上昇していたことを報告した。

 このように、ラマダーン中の断食は糖尿病患者にとって命の危険が高まるため、適切な対応が必要である。「The International Group for Diabetes and Ramadan」という、ラマダーン中の糖尿病管理についてデータをまとめている国際団体があり、内服している薬の種類によって、日没後の飲水を励行する、内服するタイミングを変更する、用量を変更する、などのガイドラインを発表している。

 イスラーム圏で糖尿病を診療する医師達は必ずこのガイドラインを勉強し、ラマダーン前の患者に対して入念なアドバイスを行う必要がある。

 日本で診療する上でも、このようなガイドラインが存在すると知っておくだけでも、イスラーム教徒の患者が来たときに紹介することが可能だ。

文化を知った上での適切な対応を

 次に注意が必要なのが、妊婦である。

 妊婦については、本来は断食の除外対象である。病人や妊婦、授乳中の母親、高齢者、旅人など合理的な理由がある場合は断食を免除することが可能とされる。しかし、「私の健康状態を考慮すると、断食をすべきだ」と本人が感じた(あるいは、周囲の空気を読んで本人がそれを選択した)なら、断食をする場合が多い。

 妊婦が断食をした場合、出産自体へのリスクは低いようだ。UAE大学(アラブ首長国連邦)のHisham Mirghani 医師は、断食中にはやや胎動が悪くなることを報告している。しかし、同医師のその後の調査によると、胎動悪化の影響は限定的で、新生児の死亡率は上がらないと報告されている。

 一方で、ドイツのハイデルベルク大学のAnja Schoeps博士の報告では、西アフリカの小国「ブルキナファソ」(2010年の推定で国民の62%がイスラーム教)で1993年から2012年にうまれた新生児を調査したところ、妊婦の断食によって子供の死亡率が20%以上上昇したとされる。

 しかし、もともとの栄養レベルが低いブルキナファソでの断食は、妊婦への影響も他国より大きいと考えられ、この結果が他の国にもあてはまるかは不明だ。

 とは言え、妊娠中の断食によって、長期的な健康影響が出る可能性は否定できない。

 また、妊娠は糖尿病になるリスクがもともと高いため、断食による血糖の変動がそのリスクを上げる可能性もある。イギリスのソレント産科病院の医師が1989年に報告しているが、今後の疫学調査が待たれる。

 さらに、妊娠中の断食が子供の発育に影響を及ぼす可能性も否定はできない。ドイツのマインツ大学がインドネシアで行った疫学調査では、妊娠中にラマダーンを経験したイスラーム教徒の母親が生んだ子供が成人した際、非イスラーム教徒に比べて身長・体重ともに小さいという結果が出ている。断食が妊婦に与える長期的な健康への影響については、さらなる研究が必要だ。

 日本でもイスラーム教徒は増加傾向であり、今後医療においても対応が必要な場合が増える。妊婦や糖尿病患者のイスラーム教徒に対して、私達非イスラーム教徒の医師が断食するなとアドバイスしたところで、彼らの行動は変わらないと思っていい。それよりも、彼らの文化を知り、適切な対応をアドバイスできれば、思いもしなかった医療事故を防ぐことにつながるかもしれない。

【筆者プロフィール】

医師・医学博士。1987年大阪生まれ。2012年東京大学医学部卒業。2014年より福島県の相馬中央病院内科医として勤務中。2017年から医療スタートアップ「miup」取締役としてバングラデシュでの医療サービス拡充に取り組む。

医療ガバナンス学会
広く一般市民を対象として、医療と社会の間に生じる諸問題をガバナンスという視点から解決し、市民の医療生活の向上に寄与するとともに、啓発活動を行っていくことを目的として設立された「特定非営利活動法人医療ガバナンス研究所」が主催する研究会が「医療ガバナンス学会」である。元東京大学医科学研究所特任教授の上昌広氏が理事長を務め、医療関係者など約5万人が購読するメールマガジン「MRIC(医療ガバナンス学会)」も発行する。「MRICの部屋」では、このメルマガで配信された記事も転載する。