ホテルニュージャパン火災サバイバーが語る「私はこうして猛火を生き延びた」

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愛人宅にいて

 一方、当時、北海道網走市で洋品店を経営し、いまは孫が生きがいという西川倉六さん(45)=同=は、

「親戚の結婚式で上京し、ニュージャパンの6階に宿泊していましたが、迷路みたいで火事になったら怖いと思っていたんです。部屋に煙が充満して目を覚まし、エレベーターは危険だと思って非常階段を駆け下りました。なんとか建物の外に出て見上げると、窓から飛び降りる人が見え、“ドン”という鈍い音が3回ほど聞こえて……いま思い出しても恐ろしいです」

 神の導きか、その日、チェックインしながら部屋におらずに助かったのは、中央競馬会の調教師、西塚十勝さん(69)=同=だ。

「馬主や調教師の集まりに出ていたのを、途中抜け出して新宿の愛人の家に行っていたんです。彼は本当に“引き”が強く、54年の洞爺丸事故では、乗船切符を持っていたのに、愛人宅を訪れたために乗り遅れて助かり、71年の東亜国内航空のばんだい号事故でも、愛人に食事を勧められ、直前にチケットをほかの調教師に譲って助かっています」

 と、すでに亡くなった西塚さんに代わって、親戚の中地義次さんが言う。また西塚さんと親交があった牧場主の樋渡信義さんも、

「彼は戦時中、中国で日本軍の斥候兵をしていたそうで、あるとき前線の偵察に行って、戻ると所属部隊が全滅していたとか。恐ろしく悪運が強い人でした」

 艶福家と悪運。昭和ならではのサバイバルだったのかもしれない。

週刊新潮 2019年6月20日号掲載

ワイド特集「『令和』に踊る『昭和』の影法師」より

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