巨人の新戦力、両打ち「若林晃弘」は松井稼頭央を目指せ【柴田勲のセブンアイズ】

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 巨人に新戦力が現れた。いや、“新鮮力”と言ってもいい。2年目の若林晃弘内野手だ。今年26歳の年齢を考えると、中堅の部類に入りつつあるが、チームにとっては若い選手が出てきた形だ。いまは選手寿命も長くなっている。これからの選手だ。

 腰痛を訴えて吉川尚輝が長期離脱中で、これまで山本泰寛を中心に増田大輝、田中俊太らがカバーしてきた。それなりに結果を残してきたが、若林は6日の楽天戦に8番・二塁で起用されてだれもが認める結果を出している。

 すごい活躍だと思う。(注1)細身ながらパンチ力がある。守備だって外野を守れるから、吉川尚が復帰しても使ってもらえる可能性が高い。ユーティリティーさはこんな時魅力的だ。

 無心でプレーに打ち込んでいる。甘い球は見逃さないで、初球からでも絶対に打ってやろうという強い気持ちがうかがえる。何年か経つと、どうしても初球の甘い球を見逃してしまいがちになる。

 打率がいいのは初球の甘い球を打ったもので3割、2ストライクと追い込まれてからは2割、これが3ボール1ストライクからだと1割台に落ちる。私はこう見ている。

 昨年の岡本和真にはこの無心さがあった。いい球が来たら初球からでも振る。見ていて迫力があった。でも、今年は相手投手の攻め方も変わってきているのだろうが、甘い球を見逃して、追い込まれて難しい球に手を出している。昨年と比べて技術的には向上しているのだろうが、どうしても中途半端に映ってしまう。

 さて若林だが、なんと言ってもいいのはスイッチヒッターであるところだ。プロ野球選手だった父親(憲一さん)の勧めもあって元々右打ちだったが、中学あたりからスイッチに転向したと聞く。早い時期から取り組んだのは大きな強みだ。

 私はプロ入りしてすぐに、投手を諦めさせられて、川上(哲治)監督から「どうせならスイッチヒッターになれ」と勧められた。私の足の速さに着目していたのだと思う。高校時代は100メートルを11秒3で走っていた。

 でも、当時は現在と違ってスイッチヒッターと言われても全くピンと来なかった。見たことがないし、情報も皆無だった。川上さんは「ドジャースにモーリー・ウィルス(注2)というスイッチの先頭打者がいるから彼を目指せ」とも言う。

 牧野(茂)さん(注3)は「バットを短く持ち、内野にゴロを打ってヒットにする。出塁したら盗塁をするというイメージだな」と教えてくれた。

 それから左手で箸を使ってご飯を食べたり、豆をつまむ練習もした。でも決め手は練習量だった。バットを振って振り抜いた。

 私はモーリー・ウィルスのような選手になれと言われたけど、本当はミッキー・マントル(注4)のような選手を目指したかった。

 話が少し脇道にそれたけど、若林には今後どんどん経験を積んで、松井稼頭央のようなタイプのスイッチヒッターを目指してもらいたい。

 交流戦に入って広島がもたついたこともあって、ゲーム差は0・5となった。巨人の残り対戦相手はオリックスとソフトバンクだ。若林の活躍とともに楽しみに観戦したい。

(注1)6日の楽天戦からスタメン起用が続く。今季は14試合で2本塁打、打点8、4盗塁、打率・424、長打率・697、出塁率・487。

(注2)1960年代、3度のリーグ優勝、2度のワールド・シリーズを達成したロサンゼルス・ドジャースでスイッチヒッターとして攻守の要として活躍した。

(注3)1952年に名古屋軍(現中日)に入団。プロ野球選手としては大きな活躍はなかったものの、1961年に川上監督に招かれてコーチ就任。名参謀としてV9に貢献した。

(注4) 50年代から60年代にかけてニューヨーク・ヤンキースの主砲として活躍。スイッチヒッターとしては史上最多の通算536本塁打を記録した。

柴田勲(しばた・いさお)
1944年2月8日生まれ。神奈川県・横浜市出身。法政二高時代はエースで5番。60年夏、61年センバツで甲子園連覇を達成し、62年に巨人に投手で入団。外野手転向後は甘いマスクと赤い手袋をトレードマークに俊足堅守の日本人初スイッチヒッターとして巨人のV9を支えた。主に1番を任され、盗塁王6回、通算579盗塁はNPB歴代3位でセ・リーグ記録。80年の巨人在籍中に2000本安打を達成した。入団当初の背番号は「12」だったが、70年から「7」に変更、王貞治の「1」、長嶋茂雄の「3」とともに野球ファン憧れの番号となった。現在、日本プロ野球名球会副理事長、14年から巨人OB会会長を務める。

週刊新潮WEB取材班

2019年6月18日掲載

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