江戸川区に住むインド人は4300人、インド出身「よぎさん」が立憲民主党の区議になるまで

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 インド人が日本で一番多い街はどこかご存じだろうか? 答えは江戸川区。現在、国内のインド人の1割以上となる4300人が暮らしている。ちなみに、2016年は2840人、17年は3225人、18年は3758人だった。江戸川区の中でも、西葛西にインド人が集中しているようだ。同区の南篠崎にあったインド人学校が、生徒数の増加のため14年に西葛西に移転、延べ床面積を約3倍に拡大した。何故、こんなにインド人が増えているのか?

「日本に滞在しているインド人は、IT企業で働いている人が多いので、西葛西だと東西線で大手町まで15分で行けます。交通の便がいい上に、駅の近くに敷金や礼金がなく外国人でも入居しやすいUR賃貸住宅の空室が沢山あったので、2000年頃から続々と入居するようになったのです」

 と解説するのは、葛西在住のよぎさんことプラニク・ヨゲンドラ氏(42)。ヨゲンドラという名前は発音しにくいので、みんなから親しみを込めて“よぎさん”と呼ばれるようになったという。今年4月の統一地方選・江戸川区議選に出馬、6477票を獲得して5位で当選を果たしたばかりだ。

 よぎさんは、インドの西部、ムンバイ市郊外のアンバルナス出身。印度国立ビジネススクールで国際ビジネス管理プログラムを修了、印度州立大学で国際経済学の修士号を取得した。大学の合間にIT専門学校にも通い、ディプロマ号を取得、というエリートなのである。

「僕は元々語学に興味があったのですが、大学に入った時、父親から日本語を学んだら面白いんじゃないかといわれ、日本語を履修しました。1996年に、日本語外務省外務基金の国費留学生の試験を受けたら、インド人では1位で合格。それで97年に日本で1カ月留学しました」(同)

 飛行機に乗るのが初めてだったそうで、関西国際空港に着いた時カルチャーショックを受けたという。

「ガラスの建物で、すごくきれいに整備されている。当時のムンバイ空港は、汚くてゴミ箱のようでしたからね。迎えに来てくれたJICA(国際協力機構)の人も清潔感があって、スケジュールをきっちり説明してくれて、すごく好感を持てました」(同)

 日本に興味を持ったよぎさんは、99年も日本で1年間留学した。大学を出たあと、インドのIT企業に勤務するが、日本語力が認められ、01年に日本支社へ。

「日本に行ったら、99年の日本留学の時一緒だった中国人女性とばったり会いましてね。彼女も日本で働いていたので、意気投合して結婚しました」(同)

 すぐに長男をもうけた。ところが、

「彼女は両親を亡くしていたのですが、家族がいる家で子供を育てたいという。それで、インドの僕の実家に行かせたのです。すると、彼女はホームシックにかかってしまって……。息子をインドに置いて中国に帰ってしまったのです。彼女とはもう、それっきりです」(同)

 息子を日本に呼び寄せ、シングルファザーとして奮闘する。息子を育てながら、自治会の役員を務め、夏祭りや餅つき大会を企画した。西葛西で年配者向けパソコン教室を開き、区立小学校・中学校のPTAの役員も務めた。11年の東日本大震災では、週末にインド人仲間と被災地へ向かった。

「カレーを作って、日本語で話しかけると、とても喜んでもらえた。日本は、インドより近所付き合いが濃厚。ずっと日本に住みたくなったのです」(同)

 翌12年に帰化した。名前はそのままである。13年には母親と一緒に印度家庭料理店レカをオープンした。

「バターナンとか、バターチキンなんか出しません。極力油を抑えた、健康的な家庭料理を提供したら評判になって、毎月のように、著名雑誌に掲載されるようになりました」(同)

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