貴景勝「美人母」と「頑固おやじ」の教育法 やんちゃ坊主を令和の初代横綱へ

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1か月の食費が30万円

――小学校を卒業すると、相撲部が強豪として知られる報徳学園中学校に進学。そして3年生の時、全国中学生相撲選手権大会に優勝し中学生横綱のタイトルを獲得されました。

一哉:あの頃は、稽古に明け暮れていましたからね。阿武咲さんが近畿大学相撲部で稽古をした時は情報を嗅ぎつけて「一緒に稽古させてください」と出稽古を申し込みました。幸いなことに快諾をいただきましたけど、もうボコボコにやられました。

 あれで、彼の意識が変わったと思います。“やらされる稽古”ではなく、“やる稽古”になりました。彼の中に自主性が芽生えた瞬間でしたね。それでも、決して順調な相撲人生ではなかったと思います。今は22歳ですが、苦難の連続なんじゃないでしょうか。

――中学生の時など、傷だらけで帰宅されるんですか?

純子:そこまではなかったです。ただ、いつも汗まみれでかえって来ていました。洗濯物が多くて大変でした。ズボンも毎日のように破けるので、ミシンで手縫いして直していましたね。

――ご飯の支度は大変でしたか?

純子:1か月で食費が30万円ぐらいに達していました。同じスーパーで毎日、お肉200グラムを5パックぐらい買っていたので、周りのお客さんに「ご家族は何人いらっしゃるの?」とか、「どこかの寮母さんですか?」と声を掛けられたこともありました。

 買い物というよりは買い出しで、スーパーから帰る時は大量の袋を腕に下げて、まるで“かかし”みたいでした。手がちぎれるかと思うほどの量でした。

――ご本人はテレビの取材で、お母さんへの感謝の言葉を述べられていました。

純子:実は本人から直接言われたことはないのです(笑)

一哉:外に出たら分かることですけど、料理するのも、洗濯するのも大変なことです。おまけに相撲の世界は上下関係が厳しいですから、何でもしないといけない。息子も高校の相撲部で寮生活を経験し、貴乃花部屋、今の千賀ノ浦部屋で一番下として頑張っているうちに、母親の大変さが身に染みて分かったのかもしれません。

純子:私、ダメなんですよね。何から何までやってしまう。

――美人母と良く言われますけれど、ご本人としてはいかがですか?

純子:堪忍してください……。今まで全然、美人だなんて言われたことないのでびっくりして。もっと美人な方はたくさんいらっしゃるのに。

――美人って言われたことないんですか?

純子:ないです、ないです。芦屋でも全然気づかれません。街を歩いていても声掛けられることは全然ありません。

一哉:テレビなら私と息子、ゴツイ2人が一緒に映りますから、その分、引き立てられて美人に見えるんじゃないですか?

 あと相撲取りのお母さんというと、肝っ玉かあさんを想像するひとが多いでしょう。そういうイメージとは違うのでしょう。

純子:私が小さいから息子も小さくなってしまったのかなって、なんでもう少し大きく生んであげれなかったんだろうと、本人に「大きく生んであげられなくてごめんね」と謝ったこともありました。

――そういえば、今日は和装姿じゃないのですね。

純子:それも何だか誤解されちゃって。女性自身さんの取材の時も、伝達式の後だったから和服だったんです。いつもは全身ユニクロですよ。サンバイザーなんかも付けちゃっているし。

――貴景勝は、「令和の横綱」として1番に名前が挙がります。ご両親の横綱への思いをお聞かせください。

一哉:男子の本懐を遂げてほしい。横綱には時間を掛けてなるものではないから、大関になったことに満足せず、そのまま横綱まで駆け抜けてほしい。大関は3場所が必要ですが、横綱は2場所連続優勝というのが基本条件です。ある意味、大関の方が条件は厳しいのです。若いうちに横綱になれるなら、なっておくに越したことはありません。

純子:横綱になりたいという想いは、私にも痛いほど伝わってきます。できるかぎりの応援をしていきたいです。ただ、やはり母親としては、自分の身体を労わることも忘れないでほしい。

週刊新潮WEB取材班

2019年5月12日掲載

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