樹木希林さんが「週刊新潮」に語った「全身がんになっても仕事を続ける理由」

芸能週刊新潮 2019年5月2・9日号掲載

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樹木希林さんが週刊新潮に語った「全身女優」「内田裕也」「死生観」(2/2)

 昨年9月に亡くなった樹木希林さん(享年75)は、時間が許す限り記者の取材を受け入れてくれた。本誌(「週刊新潮」)に語った時間は、全体で10時間にも及ぶ。遺すべきその言葉を、改めて紹介したい。(以下敬称略)

 ***

〈日本アカデミー賞の受賞スピーチで、「あたし全身がんなので、来年の仕事、約束できないんですよ」と告白したのは、2013年3月のこと。その直後、訪ねた記者に、〉

 この話、みなさんにお断りしてるのよ。お宅だけに喋るとほかの人に悪いじゃない。だからさ、これはキチンと書いておいてよ。あたしはお宅にもちゃんと断ったんだからね。

〈と念押しして話してくれた。樹木は2004年に乳がんを経験していたが、〉

 手術のあとに転移しましてね。もう5年くらい前になるかな。医者から「あなたはもう“全身がん”だから、いつどこへ出ても不思議でないですよ」って言われた。だから、ずっと全身がんなんですよ。

 がんになると、仕事をしなくなる人もいるって聞くけど、あたしの場合、50年もやってるとね、義理の仕事が辞められなかっただけ。だからこうして来年のアカデミー賞の仕事のことまで心配しなきゃならないわけですよ。生きてればね、義理があるから。そんな感じで生き続けているんですよ。でもね、もう70歳を過ぎたらね、他人に文句言われなくてもいいわよね、って思ってるんです。あははは。でも別にね、なにか覚悟を決めてるとかそんな素晴らしいものではないの。欲がないだけ。あたしは欲がないの。いや、まったくというわけじゃなくて、みんなとは欲をかくところが違うのかな。他の人とはいろんな意味で、人生が違ってるからね、あたしはさ。

 でもね、つい飲んじゃうのよ、お酒。飲みすぎないように気をつけてはいるんだけどね。逆に、とにかく薬が嫌いだから困っちゃうわ。ただね、薬飲まないで死んじゃう人が出ても困るから、くれぐれもあたしの真似はしないでね。人それぞれなんだから。けど思うのよ。あたしのがんが、もし簡単に治っちゃってたら、もう少し野放図に生きていたんじゃないのかしら。ま、今でも十分野放図ですけどね。ふふ。野放図のあり方がもう少し増してたかもね。ですからね、ちょっとは謙虚になってるんですよ。

〈そして、話は自ずと死生観に広がっていく。〉

 ムコの本木さんは映画で「おくりびと」もやってますから、「お義母さん、どこで死にたいですか」って聞くだけですよ。娘もね、電話をかけてきては「お母さん、生きてるの?」って言うの。内田さんなんか「お前な、頼むから死ぬ時は独りで死んでくれよな。俺は連れて行かないでくれ」って言うんですよ。あっはっは。もう笑っちゃって。

 娘にはね、お母さんが先に死んでお父さんが残ると、困ることがたくさん出てくるって心配があるんですよ。そしたら占いの人に「大丈夫です。お母さんは、ちょっと転んでとか、簡単な死に方をします」って言われたらしいの。こうも言われたらしいのよ。「お母さんが死ぬ時には、即座にお父さんの襟首つかまえて逝くから大丈夫よ」って。あっはっは。その話を内田さんに喋ったの。そしたら「頼むから独りで逝ってくれ」って。あたしだって、面倒臭いから独りで逝きたいわよ。そんなふうに面白がってますから、あたしたち。

〈そして、本当に娘が望んでいたかどうかはともかく、ほぼ「占い」の通りに、夫婦は人生をまっとうしたのである。〉

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