「大統領自由勲章」タイガー・ウッズと黒人ゴルファーの「歴史」

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「マスターズ」5勝、メジャー15勝を挙げたタイガー・ウッズ(43)が5月6日(米東部時間)、ホワイトハウスのローズガーデンでドナルド・トランプ大統領から大統領自由勲章を授けられた。

 トランプ大統領とウッズは以前から何度も一緒にゴルフをしており、今年2月にも、ともにラウンドしたばかりだ。

 トランプ大統領は4月のマスターズ終了直後に「タイガーは本当にグレートなチャンピオンだ」とツイートし、ウッズを絶賛。その翌日には「タイガーの信じられないほどの成功と復活は素晴らしい。スポーツのみならず、彼の人生における復活は一層素晴らしい」とウッズへの祝福と敬意を表し、米国民として最高栄誉の勲章を授けることを早々に発表した。

 日本語では「大統領自由勲章」と訳されているこの勲章は、英語では「Presidential Medal of Freedom」と呼ばれている。

 この勲章を過去に授かったプロゴルファーは、チャーリー・シフォード(2015年に92歳で死去)、アーノルド・パーマー(2016年に87歳で死去)、ジャック・ニクラス(79歳)の3人しかおらず、ウッズはゴルフ史上4人目の受賞者となった。

 そんな歴史を辿りながら、あることに気が付いた。

 黒人初の米ツアーメンバーとなったシフォードは1922年生まれ。パーマーやニクラスより年齢は上で、活躍した時代も1950年代と一足早かった。

 だが、ジョージ・W・ブッシュ大統領からこの勲章を授かったのは、パーマーが2004年、ニクラスが2005年だったのに対し、黒人ゴルファーの草分け的存在となった功績が讃えられたシフォードがこの勲章を授かったのは、それから10年も遅い2014年だった。そして、授けることを決めたのは、黒人として初の米国大統領となったバラク・オバマ大統領だった。

マスターズ初日の前日に

 今から20年ほど前、ウッズから聞いたこんな体験談を思い出した。

 まだ子供だったウッズがゴルフ場に併設されていた練習場で球を打っていたときのこと。別の打席で練習していた大人が打った球が大きく右に曲がって飛んでいき、コース沿いの民家を直撃して窓ガラスが割れた。

 そのとき、その場にいた大人たちは全員で「打ったのは、この子だ」とウッズのせいにしたという。ウッズは、その場にいた唯一の黒人だったそうだ。

 その話は、私の頭の片隅から、ずっと離れなかった。そして先日、現在の米ツアーでウッズ以外の唯一の黒人選手であるハロルド・バーナーとウッズのこんな逸話を聞いたとき、再び「人種」について考えさせられた。

 28歳のバーナーは米ツアー初優勝を目指している成長途上の選手だが、米ツアーではウッズと練習ラウンドをともにするなど、先輩ウッズから何かと気に留めてもらっている様子だ。

 そのバーナーが、今年の3月ごろ、ウッズにある頼みごとをした。バーナーが幼少時代からともに腕を磨いてきた親友でPGAオブ・アメリカのクラブプロになったダニエル・メグが大腸がんになり、ステージ4と診断され、闘病している。マスターズ最終日に29歳の誕生日を迎えるメグのために「激励メッセージを贈ってあげてくれませんか?」とバーナーはウッズに頼んだそうだ。

 そしてウッズは、マスターズ初日前日の水曜日、「オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ」の美しいアゼリアの花々を背景にして立ち、「ダニエル、頑張れ。強くあれ。決して望みを捨ててはいけない」と呼びかけるビデオメッセージを撮影し、メグの妻宛に送ったそうだ。

 メグは「僕はもう死んでもいい」と興奮混じりのジョークを飛ばし、バーナーとともに歓喜の声を上げたという。

 今年のマスターズでは開幕前から「勝てる気がしている」と語り、優勝を狙っていたウッズが、そんな大事なときにバーナーの頼みを聞き入れ、ビデオメッセージを撮影したのは、彼らが「黒人同士だから」だと思えるかもしれない。

 その通り、それも理由の1つなのだと思う。だが、ウッズは「黒人どうしだから」こそ、甘えないよう、諌めることも忘れてはいなかったことが後にわかった。

ウッズの教え

 今から十数年前、まだジュニアゴルファーだったバーナーは、ウッズにサインを求め、拒否されたことがあったという。

 大好きなウッズが故郷ノース・カロライナで開催された大会にやってきたとき、バーナーはウッズの練習ラウンドに最初から最後まで付いて回り、練習を終えて駐車場に向かうウッズに走り寄って「サインをください」と頼んだ。

「でも、タイガーは僕を腕で制してサインを拒否し、さっさと車に乗って去っていったんだ。僕は思い切りムカついて、タイガーのバカヤロウって思った」

 そのときのことを、米ツアー選手になったバーナーがウッズに伝えたところ、ウッズは大きく頷きながら、こう言ったそうだ。

「腹が立っただろう? でも、だからキミは今、ここに居るんだよ」

 それは、黒人どうしだからというだけで簡単にサインをもらえると思ってはいけないという教えだった。ウッズがバーナー少年に冷たい態度を取ったのは、そうやって反発心を煽ることで、厳しい社会を自力で生き抜いていくための強い精神力や独立心を芽生えさせ、プロゴルファーになってやるぞというモチベーションを抱いてほしかったからだったことを、バーナーはこのとき初めて知り、あらためてウッズに感謝の念を抱いたという。

 いざ、バーナーが自分の力でプロゴルファーになり、米ツアー選手になって以降は、ウッズはバーナーの努力を認め、1人のプロゴルファーとしてリスペクトさえ払っている。だからウッズは、優勝を狙って挑んでいたあのマスターズウィークであっても、バーナーと彼の親友のために時間を作り、ビデオメッセージを送ったのだ。

先駆者、父、息子、そして――

 晴れて米ツアー選手になったバーナーに、ウッズはユニークなアドバイスを与えたそうだ。

「プロのゴルフは、テレビのスウィッチをオンにしたまま、その横で読書をするようなものだ」

 試合会場には大勢のギャラリーが詰め寄せ、動き回ったり、騒いだりしている。ロープの内側も、記者やカメラマンがぞろぞろ歩いており、フェアウェイでさえ、テレビ中継のクルーがうろうろしている。ショットする瞬間だけは静寂が得られるものの、インパクト直後には再び喧騒に包まれる。温かい拍手や歓声ならありがたいが、ときには野次も飛んでくる。

 その真ん中で自身の集中力を切らすことなく、プレーしなければならないのがプロのゴルフだ。それは、まさにテレビの音声が高鳴っている横で自分は自分なりに本を読むことと似ている。

 決してたやすいことではないが、やるしかないし、決して言い訳は通用しないということを、先輩ウッズは後輩バーナーに、そんなたとえを用いながら優しく教えたのだ。

 ウッズ自身は、その感覚を今は亡き父親アールから幼少時代に叩き込まれた。ウッズがバックスイングからダウンスイングへと切り返す際、アールはたびたびそのタイミングで、わざと大きな物音を立て、ウッズの邪魔をしたという。

 それは、ウッズのためを思うアールが、あえて作り出していた「テレビがオンの状態」。その中でウッズは、あたかも何食わぬ顔で本を読むかのように、自分のショットに集中する術を身に付けていった。

 父アールから息子ウッズへ伝授された戦術を、今度は先輩ウッズから後輩バーナーへ伝えていったというわけだが、歴史をもっと遡れば、かつては白人のスポーツとみなされていたプロゴルフ界への扉を、黒人のために開いたのはシフォードであり、シフォードからアールへ、アールからウッズへ、ウッズからバーナーへという具合に、彼らは果てしなく長い歳月の中で、彼らの歴史を一歩一歩、紡いでいる。

 2019年5月6日、大統領自由勲章を授かったウッズの姿を見て、シフォードもアールもきっと感無量に違いない。

舩越園子
ゴルフジャーナリスト、2019年4月より武蔵丘短期大学客員教授。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。最新刊に『TIGER WORDS タイガー・ウッズ 復活の言霊』(徳間書店)がある。

Foresight 2019年5月8日掲載

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