松田聖子、神田沙也加に愛人・ジェフ君を「パパ」と呼ばせ…今も残る母子のシコリ

芸能週刊新潮 2019年4月25日号掲載

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「貴乃花」家族和解でひもとく有名人「骨肉の争い」――松田聖子

 さる3月4日、松田聖子(57)の姿は、故郷の福岡県久留米市の市民ホールにあった。デビュー直後を除けば実に38年ぶりの凱旋公演。地元のファンに向けて「今日は久留米弁で話すね」と語りかけたという。

 蒲池法子が松田聖子を名乗り始めて40年の月日が流れようとしている。そのキャリアの中で、聖子はヒット曲を通じ、時代を画してきた。他方、少なくない男たちと浮名を流し、それが母や娘との相克を生んだのも事実だろう。

 85年、郷ひろみと破局した際に飛びだしたのが、

「生まれ変わったら、一緒になろうねと話し合った」

 という“名言”だが、後に郷はこれが彼女の創作だったと明かしている。

 郷との破局を涙ながらに公表してからわずか3カ月後、神田正輝との婚約を発表した際には、

「この人なら一生ついていけると思いました。私が仕事をすることにも理解を持ってくれていますが、当分は、主婦業に専念したい」

 と一転、笑顔で話した。“聖輝の結婚”などと話題をさらったものだ。

 翌年に娘の沙也加(32)を出産。しかし、その結婚は干支ひと回りして破綻する。

「私が女性、妻として正輝さんに、きちんとしてあげられなかった。至らなかった」

 とは離婚会見での言葉だが、芸能デスクによると、

「仮面の期間が長かった夫婦でした。たとえば彼女は、NYから“ジェフ君”と呼ばれる愛人を呼び寄せて、人目も憚らず、自宅に近いフランス料理店などで逢瀬を重ねていました。小学校に上がる前の沙也加をデートの場に同席させて、ジェフを“パパ”とまで呼ばせたほど。仕事と恋愛で忙しかった彼女に代わり、沙也加を実際に育てたのは、聖子の実母。この時期の彼女の振る舞いが、後に、娘との関係に亀裂を生じさせることになります」

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