「令和」に早速冷や水! 日本共産党の見解とは

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 新元号「令和」は、おおむね国民に好感を持って受け止められているようだ。
 しかし、こんな時にこそ独自性を見せるべきだという判断か、日本共産党の志位和夫委員長は、「新元号の発表にさいして」として、以下の見解を発表した。

「一、元号は、もともとは中国に由来するもので、『君主が空間だけでなく時間まで支配する』という思想に基づくものである。それは日本国憲法の国民主権の原則になじまないものだと考えている。

一、わが党は、国民が元号を慣習的に使用することに反対するものではない。
 同時に、西暦か元号か、いかなる紀年法を用いるかは、自由な国民自身の選択にゆだねられるべきであって、国による使用の強制には反対する。

一、政府は、これまでも『一般国民にまで(元号の)使用を強制することにはならない』ことを『政府統一見解』として明らかにしている。
 この立場を厳格に守ることを、あらためて求める」

 世の歓迎ムードに冷や水をぶっかけるような談話ではあるが、共産党はそもそも天皇制について、批判的なスタンスを維持している。

「天皇条項については、憲法の条項と精神からの逸脱を是正する。一人の個人が世襲で象徴となる現制度は、民主主義と人間の平等の原則と両立するものでなく、民主共和制を実現すべき立場に立つ。天皇制の存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決すべき」

 これが2004年に定められた綱領に書かれている文章で、要するに「そのうち国民の総意でなくそう」と言っていると読んでいいだろう。なにせ天皇制は「憲法の条項と精神から逸脱」しているというのを前提としているのだ。
 こうしたスタンスについて、肯定的に捉える人もいるだろう。
 元号について「自由な国民自身の選択」にゆだねるのは結構ではないか、天皇が世襲でいいのかも再考すべきだ、と。
 そもそも誰も元号を強制はしていないのだが、それはさておき、当の共産党が党員に自由を認めているかという観点で、彼らの党則をチェックしてみると、いささか怪しいところも見られるようだ。『日本共産党の正体』(福冨健一・著)から引用してみよう。

「党員について、(党規約)第五条は、
 
 第五条 党員の権利と義務は、つぎのとおりである。
(五) 党の諸決定を自覚的に実行する。決定に同意できない場合は、自分の意見を保留することができる。その場合も、その決定を実行する。党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない。

 と、『党の決定に反する意見を、勝手に発表することはしない』と規定しています。筆坂秀世(元日本共産党参議院議員)は、『民主集中制を唱える共産党の場合、組織内には原則として上下の関係しかなく、基本的には党員同士の横のつながりは禁止されている』『メディアは私のことを“党のナンバー4”と書いたが、私にいわせれば、共産党にはナンバー1しかいなかった』と回想しています。(略)
 賛成できないことも『実行する』ことが求められ、『党の決定に反する意見を、勝手に発表』できない、というのが民主主義とかけはなれた決まりなのは明らかでしょう」

 さて、共産党の議員や党員のなかに「令和って、意外といいじゃないの」という感想を持った人はいるのだろうか。いたとして、それを表明することはできるのか。

デイリー新潮編集部

2019年4月7日掲載

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