「金丸裁定」から35年!密かに決着していた「台湾代表処」150億円土地名義問題

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「台湾の大使館の土地名義がとうとう変わったらしいよ」――。

 そんな内部情報を、日本で台湾とのビジネスを手がけている人物から教えてもらった。「大使館」といっても、日本と外交関係がない台湾の場合、正式には「台北駐日経済文化代表処」と言う。

 すぐに都内の法務局に向かった。登記を調べてみると、確かに今年1月24日、土地の所有者が「馬紀壮」から「一般社団法人 台北駐日経済文化代表処館産管理委員会」に変更になっている。一体、どういうことだろうか。

 代表処があるのは東京都港区白金台。プラチナ通りの一本裏手にあり、白金台駅と目黒駅まで徒歩数分。東京でも指折りの高級住宅街だ。敷地内に代表処ビルと駐日代表の公邸があり、現在の土地の資産価値は150億円と見積もられている。

 台湾では、現在の駐日代表・謝長廷氏が2016年に就任して以来、名義を変更するか否かが政治問題化していた。

 登記が変更されたということは、台湾の事実上の「大使館」をめぐる日台外交史の「秘話」に、1つの決着がついたことを意味している。

日中国交正常化で「大使館」が……

 事の発端は1972年まで遡る。当時蒋介石率いる中華民国政府は共産党との国共内戦に破れて台湾に撤退していた。

 日本は戦後、米国の圧力もあって、1952 年に日華平和条約を台湾(中華民国)と結び、外交関係を樹立したが、20年後のこの年、台湾を捨て、中華人民共和国と国交を結んだ。いわゆる日中国交正常化だ。

 その際、台湾の「外交資産」である大使館などは、いったん日本政府に委託され、中華人民共和国政府に譲渡された。現在、中華人民共和国の駐日大使館がある六本木の土地は、もともと台湾の大使館だった。

 台湾の日本の出先機関は名称を「亜東関係協会」に変更し(1992年に現在の台北駐日経済文化代表処になる)、都内の商業ビルを借りた。しかし、賃貸費が高額などの理由から、新たな土地の取得を模索した。

 通常、駐日大使館が物件探しをする場合は、日本政府も協力して優遇価格で国有地の払い下げなどの便宜を図るが、台湾とは外交関係がなく、物件探しは難航していた。

政治判断が含まれていた可能性

 転機が訪れたのは1986年1月だった。白金台の土地が、台湾に払い下げられたのだ。

 元の所有者は日本政府の農林水産省傘下の林野庁。林野庁が管轄する東京営林局白金台公務員宿舎であった。それが、自民党の中曽根康弘政権時に、いわゆる「中曽根民活」の一環として民間への払い下げ対象になった。

 宿舎跡地の面積はおよそ6000平方メートルにのぼった。その半分が港区に払い下げられ、後に特別養護老人ホームが建設された。そして残り半分の約3000平方メートルが台湾側へ払い下げられ、亜東関係協会となった。

 しかし、この払い下げは当時、日本国内で多くの議論を呼んだ。朝日新聞は1987年10月6日付夕刊の社会面トップに、「林野庁宿舎跡地、台湾の団体に払い下げ」という記事を載せた。国有地が優遇価格で外交関係のない台湾に払い下げされたことについて疑問の声が上がっている、という批判的な内容だった。

 その記事などによると、林野庁は「二つの中国」に神経を尖らせる中国政府に配慮して台湾側との直接の交渉を回避し、日本側の対台湾窓口である「交流協会」を通して交渉。外務省や大蔵省(当時)にも意見を聞いた。外務省は「台湾とは国交はないが、民間交流はあり、その交流を促進するうえで公益性の強い業務を行っている」と亜東関係協会の役割を認定し、大蔵省も随意契約による優遇価格での払い下げを認めたという。

 私が感じたのは、この払い下げ自体に、かなり高度な政治的判断が含まれていた可能性が高いということだ。農水省、林野庁、大蔵省、そして外務省が絡んだ案件であり、省庁ごとの縦割り主義が強い日本では、こういう省庁横断的で複雑な案件は、力のある政治家が間を取り持たないと、なかなか実現しない。

「金丸信の力で取得したもの」

 政治判断を裏付ける証言が何かないかと資料を当たっていたら、日台断交後、最初の駐日代表になった馬樹礼氏の中国語の回顧録『使日十二年』に、その答えを見つけた。

 馬氏は、1984年に自民党幹事長に就任した金丸信に接近した。金丸は、「田中曽根内閣」と揶揄された当時の中曽根内閣の後ろ盾、田中派の重鎮であった。田中角栄がロッキード裁判を抱えて政治の第一線から退いていた当時、派閥のパワーを操っていたのが金丸とされていた。

 その金丸を、馬氏は幹事長就任祝いで食事に招いた。そこで金丸から台湾訪問の意向が表明され、馬氏はその実現に奔走する。多忙の金丸は週末しか台湾訪問の時間が取れないが、当時の蒋経国総統は週末には来客に応じないことを原則としていた。

 しかし、馬氏は蒋総統の側近である秦孝儀氏に電話をかけて説得を依頼し、なんとか蒋総統と金丸の面会を実現したという。

 2人の会談は盛り上がった。それまで中華人民共和国と近かった田中派に、台湾人脈の楔を打ち込まれたと言ってもいい。馬氏は前述の回顧録のなかで、白金台の土地について、「のちの我々の東京での建館(大使館建設)の土地は、主に金丸信の力で取得したものである」と書き残している。

自民党の親台派

 こうした政治家の後押しによる問題解決は、断交後に政府間の対話が難しくなった日台関係において、しばしばみられる現象でもある。

 台湾側の支援に立つのは通常、いわゆる親台派の自民党議員を中心に構成される日華議員懇談会(以下、日華懇)だ。そもそも日華懇自体、台湾の大使館土地問題を1つの契機に設立されたものだった。

 日華懇は1973年の設立総会で、台湾の大使館の土地を中華人民共和国に使用させることにした日本政府に対して、「不動産の所有権の帰属は外交問題ではなく、民事訴訟で解決すべきだ」などとして、方針の変更を求める決定を行っている。

 日華懇は、安倍晋三首相の祖父・岸信介元首相の岸派の系譜に連なる議員らが中心となっているが、金丸の訪台によって田中派とのパイプができたことを、馬氏は著書のなかで大きな成果だと指摘している。

 実際、土地問題では、当時の日本政治の主役であった田中派の実力がいかんなく発揮されたのだろう。

個人名義にした理由

 さて、払い下げの際、登記上の所有者になったのは、当時の駐日代表、馬紀壮氏であった。日本と台湾は正式な外交関係がないため、亜東関係協会(代表処)の名義にするとハレーションが起きる。そこで台湾側と日本側が話し合いの末、馬氏の名義を使うことになったのである。

 登記簿を見てみると、取得者の項目は「亜東関係協会東京弁事処 馬紀壮」となっている。その前の所有者は「農林水産省」。売買代金は41億953万円と記載されている。10年間の「買い戻し特約」がついていたが、実行されなかったようだ。

 その後、台湾の駐日代表は何人も交代しており、馬氏も1998年に死去しているが、所有者が変更されることはなかった。一方、白金台近辺は高級住宅街として開発されて年々人気が高まり、土地の値段が高騰。先述の通り、現在の資産価値は購入時点の4倍近い150億円に達すると言われる。

台湾政府が所有権を主張できるか

 再び転機が訪れたのは2016年。政権交代によって民進党・蔡英文総統から任命された謝氏が駐日代表に就任し、この名義問題に決着をつけるべきだと主張しはじめた。

 その理由は、いまも代表処の土地は法的には馬紀壮氏個人の所有であることに変わりなく、万が一、遺産問題などの訴訟に巻き込まれた時、台湾政府側が所有権を主張できるか不安がある、というものだった。実際、政府資格のない台湾の公的資産問題として、京都の「光華寮訴訟」などが知られている。

 一方、台湾の外交部には慎重論も根強かった。現状で大きな問題がないうえ、所有権の変更をしてしまうと、手続きなどで巨額の手数料が発生する恐れがある。国会の立法院でも野党・国民党から反対の声があり、結論が出ていなかった。

 外交部の中には、土地の名義は便宜的に馬氏となっているだけで、真の所有権は台湾の政府であることを認める内容のメモが残っていたと言われる。

 だが、今年に入って密かに名義変更が行われていたのである。代表処と公邸の建物名義も合わせて変更されたという。

対中外交上のタブーに触れないように

 新たな所有者として登記された一般社団法人「台北駐日経済文化代表処館産管理委員会」は、大使館にあたる「台北駐日経済文化代表処」とは別の組織だ。とはいえ、代表理事は駐日代表の謝氏となっており、ほかの理事には、台湾の対日窓口機関「台湾日本関係協会」の邱義仁会長などが名前を連ねている。今回の名義変更のために設立された、いわば「ペーパー団体」だという。

 この名義変更について代表処に確認をとったところ、名義変更が事実であることは認めたが、詳細については日本政府との信頼関係に鑑みて詳しくはコメントしない、とのことだった。日本政府のアドバイスも受けながら、名義を代表処ではなく一般社団法人にすることで、日本の対中外交上のタブーに触れないよう配慮したのだろう。

 名義変更における登録免許税などの手数料は、通常は固定資産評価額の1000分の5とみられる。評価額が150億円だとすれば7500万円になる。台湾メディアでも過去に7000万円などと報じられていた。確かに高額ではあるが、今後の地価上昇によって吸収され得る金額であることも確かだ。

 また、訴訟リスクをどのように考えるかによって判断が分かれるが、日本の法曹関係者は「名義が馬紀壮氏のままだと、遺族がある日、自分たちのものだと日本の裁判所で訴えを起こした場合、覚書があっても不利な裁判になりかねない。一般論では、名義変更は法的には正しい措置」と指摘する。

 弁護士として民主運動の逮捕者を弁護したところから政界に入り、行政院長や総統選候補も歴任してきた謝氏は、将来における法的リスクを重く見て、名義変更を推し進めたと見られる。

各地に個人名義の窓口

 ただ、問題が完全に解決したというわけではない。現在、日本には台湾の窓口として、東京の代表処のほかに各地に弁事処(総領事館)と分処(領事館)があるが、そのなかで横浜分処、大阪弁事処、福岡分処の土地も個人名義になっているという。

 確かに、福岡分処の登記を調べてみると、福岡市中央区の物件の所有者は、かつての分処トップだった「沈國雄」となっている。今後、台北駐日経済文化代表処では順次、名義変更を進めていくとみられるが、本人や遺族の意向などを確認する必要もあり、中には、名義変更に賛同していない人物もいると言われる。

 今後、スムーズに名義変更の作業が進むかどうかは不透明だとみられている。

野嶋剛
1968年生れ。ジャーナリスト。上智大学新聞学科卒。大学在学中に香港中文大学に留学。92年朝日新聞社入社後、佐賀支局、中国・アモイ大学留学、西部社会部を経て、シンガポール支局長や台北支局長として中国や台湾、アジア関連の報道に携わる。2016年4月からフリーに。著書に「イラク戦争従軍記」(朝日新聞社)、「ふたつの故宮博物院」(新潮選書)、「謎の名画・清明上河図」(勉誠出版)、「銀輪の巨人ジャイアント」(東洋経済新報社)、「ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち」(講談社)、「認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾」(明石書店)、「台湾とは何か」(ちくま新書)。訳書に「チャイニーズ・ライフ」(明石書店)。最新刊は「タイワニーズ 故郷喪失者の物語」(小学館)。公式HPは https://nojimatsuyoshi.com。

Foresight 2019年3月19日掲載

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