ついに保釈! 2度目の黒船の「ゴーン」日本を救うか

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 日本は再び「ゴーン・ショック」に襲われる。1度目は20年前、フランス・ルノーから日産自動車に乗り込んだカルロス・ゴーン前会長が、ゴーン改革で「系列」に代表される日本企業の古い商慣習を粉砕した。次に破壊されるのは、世界から批判を浴びている日本の「人質司法」だ。ゴーン被告は日本の後進性を映し出す鏡である。

世界に晒された日本の刑事司法

 3月6日、逮捕から108日目に保釈されたゴーン被告は、作業服に帽子とマスクという奇妙な姿で東京拘置所から出てきた。だが、メガネの奥の目は鋭さを失っていない。「無罪請負人」の弘中惇一郎弁護士という味方を得て、大反撃を始めるつもりだろう。

 「新戦略による初勝利」

 仏紙『フィガロ』はゴーン被告の保釈を電子版の速報でこう伝えた。監視カメラ設置など、保釈後の証拠隠滅が疑われないような措置を提案したことを「より攻撃的な司法戦略」と評価した。仏紙『ル・モンド』は、日本の裁判所が自白を拒む被告の保釈請求をほとんど認めないとした上で、今回の保釈を「日本の司法制度では異例の決定」と伝えた。

 弁護士の立ち会いなしに容疑者を長期間拘留する日本の検察のスタイルは、ゴーン被告の逮捕によって海外にその実態が伝わり、「人質司法」と批判されてきた。

 勾留理由開示手続きを巡ってゴーン被告が法廷に現れた時には、『AFP通信』が手錠と腰縄を付けてスリッパ姿で入廷したゴーン被告の様子を事細かに描写し、「7週間に及ぶ東京拘置所での生活が活力を奪った」と批判した。

 カルロス・ゴーンという世界的に著名な経営者を逮捕したことにより、前近代的な日本の刑事司法が世界に晒された。裁判所は、こうした海外からの批判を当然、気にしていたはずである。

 そこをうまく突いたのが、ゴーン被告の家族だった。家族は3月4日、ゴーン被告の長期勾留が人権侵害に当たるとして、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)で恣意的拘束について検証する作業部会に申し立てを行ったことを発表した。

発表後に記者会見した家族側の弁護士フランソワ・ジムレ氏は、「懲罰的な環境で尊厳を侵害する不当な勾留が続いている。今回の事件は日本の勾留制度を白日の下にさらすことになる」とまくし立てた。

 その直後、新たにゴーン被告の弁護を引き受けた弘中惇一郎氏らの弁護団が3度目の保釈請求をすると、裁判所はあっさりこれを受け入れた。検察は「証拠隠滅の恐れがある」と準抗告したが、裁判所に棄却された。ゴーン被告の家族を動かしたのが弘中氏だとしたら、大した策士ぶりである。いずれにせよ日本の裁判所は、「国連」を持ち出された途端、腰砕けになった。

 「泰平の眠りを覚ます上喜撰 たった四杯で夜も眠れず」

 幕末の江戸で流行った誰もが知る狂歌で、カフェインの強い上等なお茶である上喜撰は蒸気船にかけて黒船を意味する。4杯はペリーの黒船が四隻だったことを意味し、たった4隻の黒船で徳川300年の泰平が破られ右往左往する幕府を揶揄した歌だ。日本は「黒船」が来ないと変わらない。

 刑事司法制度の前近代性については、例えば1988年のリクルート事件でゴーン被告と同じ東京拘置所に113日間拘留され、拘禁反応鬱状態になった経験を持つリクルート元会長の江副浩正は、共著『取り調べの「全面可視化」をめざして』(中央公論新社)の中でこう語っている。

 「てきぱきと働く受刑者の姿を見ながら『羨ましい』と思った」

 東京拘置所には刑務所もあるが、「自由に身動きできず、空さえ見えない拘置所での暮らしは刑務所より厳しい」と受刑者の多くは語っている。

 しかし有罪率99.9%とも言われる日本では、長期勾留された人間がその非人道性を訴えても、「所詮は罪人の泣き言」と無視されてきた。

 言うまでもないが、被告は罪人ではなく、その人権は配慮されるべきである。外国人でしかも超有名人であるゴーン被告の声は、日本を越えて海外に届き、その声が海外メディアで増幅されて日本に跳ね返ってきた。海の向こうから批判されると、日本の権力者たちは途端に狼狽し始めた。それが「異例の保釈」につながったと見るべきだろう。日本の刑事司法制度に「黒船」が襲来したのである。

鋼鉄業界の「日産事件」

 ゴーン被告が「黒船」の役割を果たすのは今回が初めてではない。冒頭で触れたとおり、20年前の1999年、筆頭株主になったルノーからCOO(最高執行責任者)として日産自動車に送り込まれた時もゴーン被告は黒船だった。

 「コストカッター」と呼ばれたゴーン被告は、着任早々、鉄鋼資材の購入先を「選別、集約する」と言い出した。泰平の眠りを貪っていた日本の鉄鋼業界に激震が走る。

 当時、日産の月間の鋼板使用量は8~9万トンで、トヨタ自動車に次ぐ大口ユーザーだったが、そのシェアは新日本製鉄(現新日鐵住金)が28%、川崎製鉄が26%、NKKが25%で、残りを住友金属工業、神戸製鋼所が分け合っていた。共存共栄を旨とする高炉5社は入札で競うわけでもなく、シェアは「不変」とされた。コスト競争力ではNKKが一段劣っていたのだが、日産は同じ芙蓉グループのNKKを「系列」とみなし優遇していた。

 ゴーン被告はこうした日本的、馴れ合いの商慣習を一顧だにせず、日本以外の国と同様に競争入札を実施した。その結果、新日鉄のシェアが60%に倍増、川鉄は30%に増え、NKKが3分の1の10%に激減した。鉄鋼業界ではこれを「日産事件」と呼ぶ。

 「変わらない」と思い込んでいたシェアの大変動に、NKKの経営陣は言い知れぬ危機感を感じた。その予感はあたり、日産事件をきっかけにトヨタ自動車など他の自動車メーカーも鉄鋼メーカーの選別を始めたのだ。流れは自動車、鉄鋼業界にとどまらず、電機メーカーなども素材、部品メーカーを選別し始めた。

 「単独では生き残れない」と悟ったNKKは「格下」と見ていた川鉄との合併に踏み切る。JFEグループ(現JFE ホールディングス)の誕生である。合併比率は川鉄1に対しNKK0.75。新日鉄に次ぐナンバーツーを自任してきたNKKにとっては屈辱的な条件だったが、背に腹はかえられなかった。

 玉突きで新日鉄が住友金属と経営統合して新日鐵住金が誕生し、鉄鋼業界は3社体制に再編された。

 ゴーン被告は日産系列の部品メーカーの持ち株を売却し、世界中から安くて良い部品を調達した。他の自動車メーカーもこれに倣い、日本の自動車産業の高コスト体質の原因だった「系列」は見事に解体された。

 ゴーン被告による改革は調達だけではなかった。稼働率の低い工場を閉鎖し、余剰人員を削減し、縦割り組織と上意下達のメカニズムを壊して社内の意思疎通を良くした。これらの改革を一気呵成に進めたことで、日産の業績はV字回復し、ゴーン被告の経営は「ゴーン・マジック」、ゴーン被告自身は「カリスマ」と呼ばれるようになった。

「神様」に祭り上げた日産

 だがゴーン被告を知る、ある大企業の元会長はこう指摘する。

 「ゴーンさんは普通の経営者だし、ゴーンさんがやったのも当たり前の改革。だが当時の日本人経営者にはそれができなかった。文明人が未開の地で日蝕を言い当てて、原住民に神様と崇められたのと同じ。日本の経営のレベルが低かったため、普通の経営者が神様になってしまった」

 ゴーン被告を最初に「神様」に祭り上げたのは日産の役員・社員だ。倒産寸前だった会社が、あっという間に優良企業に生まれ変わったのである。ゴーン氏が普通の経営者なら、会社を傾けた自分たちが怠慢で無能だったことになる。自分たちの非を隠すために、ゴーン被告を「不可能を可能にした神様」に祭り上げた。

 その尻馬に乗ったのがメディアである。工場を閉め人員を削減して固定費を減らし、不稼働資産を減損処理してしまえば、バランスシートが軽くなり、期間利益が跳ね上がるのは常識である。しかし勉強不足と読者の関心を引きたい下心が相まって「カリスマ・ゴーン」と書きたてた。

 残念なのは、前近代的な日本の企業社会に改革の先鞭をつけたゴーン被告が、社内のごますりとメディアのお囃子に乗せられて、自らを「カリスマ」と勘違いしてしまったことである。「経営者として当たり前のことをやったまで」と謙虚にしていれば、逮捕はなかっただろう。

 しかし驕ったゴーン被告が逮捕されたことで、今度は未開な日本の刑事司法にスポットライトが当たった。1度目のゴーン・ショックで激震が走った鉄鋼業界と同じように、日本の司法も大いに揺さぶられることになる。本人にその意思はないだろうが、結果的にゴーン被告は2度目の「黒船」として、再び日本を救うのかもしれない。

大西康之
経済ジャーナリスト、1965年生まれ。1988年日本経済新聞に入社し、産業部で企業取材を担当。98年、欧州総局(ロンドン)。日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員を経て2016年に独立。著書に「稲盛和夫最後の闘い~JAL再生に賭けた経営者人生」(日本経済新聞)、「会社が消えた日~三洋電機10万人のそれから」(日経BP)、「ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア 佐々木正」(新潮社)、「東芝解体 電機メーカーが消える日」 (講談社現代新書)、「東芝 原子力敗戦」(文藝春秋)がある。

Foresight 2019年3月8日掲載

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