「なおみちゃんには強い大坂の血が流れてる」 親族語る“豪傑で知られた曾祖母”の存在

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「大坂なおみ」も知らないファミリー・ヒストリー 曾祖母が自伝に綴ったソ連兵「北方領土」収奪の日(2/2)

 大坂なおみ(21)の母方のルーツには、母の環(たまき)さん(48)、その父で北海道根室漁協の組合長・鉄夫さん(74)という系譜がつづく。鉄夫さんの母、つまりなおみの曾祖母にあたるみつよさんは「大坂のかあさん」と呼ばれ、豪傑ぶりで鳴らした存在だった。自伝『勇留(ゆり)島に萱草(かんぞう)の花が咲く頃』(以下、自伝)には、北方領土の島民だった彼女の苛烈な体験が綴られている。

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 日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本がポツダム宣言を受諾したにも拘(かかわ)らずソ連は北方領土に侵攻。当時、住民約500人の勇留島も例外ではなかった。1945年9月のことである。

〈露助が島に上陸してきた。/(中略)岸から(ソ連兵が)上がってきて匍匐前進してくるのが見えた。/拳銃をパンパンと威嚇射撃して来ましたから私等は恐ろしくて〉

〈そうして露助がうちの父さんを後向きにさせて拳銃を突きつけている〉(いずれも自伝より)

 またこんなこともあった。

〈男は全部キンを抜いて女は全部露助の妾にする、そして子供は全部殺すとソ連が言って来たという内容で回覧板が回って来た〉(同)

 みつよさんの長女の三浦幸子さん(88)が回顧する。

「ソ連兵の姿が見えたら若い女の子は全員隠れるように言われていました。犯されるからと。実際、私や妹たちは海辺の岩場のほら穴に隠れました」

 終戦時に8歳で勇留島に暮らし、大坂家と親交のあった角鹿(つのか)泰司さんが続ける。

「ソ連兵に貴金属はないかと言われ、うちは確か万年筆を盗(と)られました。また、若い男は隣の志発(しぼつ)島や色丹島に徴用され、そこで亡くなった者もいたと聞いています」

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