ようやく開催「第2回米朝首脳会談」水面下の「激烈交渉」(2)

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 金英哲(キム・ヨンチョル)党統一戦線部長一行はマイク・ポンペオ米国務長官との高官会談終了後、すぐにホワイトハウスに向かった。ドナルド・トランプ米大統領は、ホワイトハウスの自身の執務室で1月18日午後零時15分から約1時間半、金英哲部長一行と会談した。大統領と金英哲部長の会談は昨年6月に続いて2度目だった。

「2月末に会談」で合意

 金英哲部長は、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の親書をトランプ大統領に渡した。金英哲部長が昨年6月に金党委員長の親書を手渡した時は、その封筒の大きさが話題になったが、今回の親書はそれよりは小さなサイズだった。

 ホワイトハウスのサラ・サンダース報道官は会談後、「トランプ大統領が金部長と非核化と第2回米朝首脳会談について論議した」「2回目の首脳会談は2月末頃に行うことで双方が合意した」とし、会談の場所は後日発表すると述べた。サンダース報道官は、会談が「生産的だった」「トランプ大統領は金党委員長と会うのを楽しみにしている」として、対話の継続意思を示した。その一方で「米国は最終的、完全に検証された非核化(FFVD)を見るまで北朝鮮に対する圧力と制裁を維持する」と述べ、非核化が実現するまでは制裁は継続すると表明した。

 金英哲部長は18日午後2時頃、宿所のホテルに戻った。これを追うようにポンペオ長官がホテルを訪れ、2人は約1時間半、ホテルで「遅い昼食」を取りながら協議を行ったようだ。その間に、ホワイトハウスの「2月末開催で合意」の発表があった。

 おそらく金英哲部長にとって、トランプ大統領との会談前のポンペオ長官との「50分の会談」は意味がなく、金正恩党委員長の親書をトランプ大統領に渡して以降の対応こそが、今回の訪米の目的だったのだろう。第2回米朝首脳会談を「2月末開催」という約束を得て、ようやくポンペオ長官との協議が意味を持ったのではないかと思われる。外交消息筋が最初の「50分会談」について「雰囲気は良くなかった」と述べたのも、そうした事情を反映したものだろう。

CIA副長官と非公開で会談

『聯合ニュース』によると、ポンペオ長官がホテルを出ると、米中央情報部(CIA)の要員と見られる人物4人が約90分間、協議の場に残ったという。スティーブン・ビーガン北朝鮮担当特別代表がホテルを出たのは午後6時過ぎで、「良い論議をした」とだけ語った。

 一方、米紙『ウォール・ストリート・ジャーナル』は1月21日付記事で、金英哲部長が18日にボーン・ビショップCIA副長官に非公開で会ったと報じた。『ワシントン・ポスト』が1月16日、金英哲部長がジーナ・ハスペルCIA長官とも会うと報じていたが、実際にはビショップ副長官が会った可能性が高いようだ。『聯合ニュース』が書いた「CIA要員と見られる4人」は金英哲部長ら北朝鮮代表団と協議し、ビショップ副長官との会談を協議した可能性もある。金英哲部長は18日午後7時10分頃、ホテル内でコートなしのスーツ姿で、エレベーターで移動するところを取材陣に目撃されており、ビーガン特別代表がホテルを出た後に、ビショップ副長官と会談した可能性が高い。

 ビショップ副長官は1981年から30年間CIAでの勤務の後、2011年に退任したが、トランプ大統領が昨年8月にCIA副長官として起用した人物だ。CIAではアンドリュー・キム・コリア・ミッションセンター長が北朝鮮問題を担当してきたが、昨年末にCIAを離れた。

 離任に先立ち、アンドリュー・キム氏は昨年12月4日に板門店を訪問し、北朝鮮側と「最後の接触」をした。韓国紙『東亜日報』は1月25日、アンドリュー・キム氏は50代の白人男性を自分の後任者として北朝鮮側に紹介したと報じた。この男性はコリア・ミッションセンターの後任センター長だったという。

『東亜日報』によると、この人物は1966年生まれで、CIAに30年近く務め、中東地域で主に活動し、アフガニスタン、イラクなどの現地勤務の経験があり、情報分析や現地の支部長を務めたことがあるという。仮名の可能性があるがCIA内では「ジョン・フレミング」と名乗っているという。007シリーズの原作者の名前が「イアン・フレミング」であることを考えれば、仮名の可能性が高いという。

 それでもアンドリュー・キム氏はハスペルCIA長官に「ジョン・フレミング」氏をセンター長の後任に推薦し、トランプ大統領もこれを了承した。さらに「ジョン・フレミング」センター長はかつてハスペル長官と同じ部署で働いたことがあり、旧知の間柄なのだという。

『聯合ニュース』が書いた「CIA要員と見られる4人」に「ジョン・フレミング」氏が含まれているかどうかは不明だ。あるいは、そこにはいなくても、ビショップ氏が金英哲部長と会った場には同席した可能性がある。

 CIAの北朝鮮との窓口は「ジョン・フレミング」センター長とビショップ副長官というラインになると見られる。

情報当局者間ルートの堅持

『ウォール・ストリート・ジャーナル』は、米朝情報当局者間の対話はバラク・オバマ政権下の2009年から始まっており、10年近く水面下の情報当局チャンネルが動いてきた、と報じた。2009年当時、金英哲氏は北朝鮮の情報機関を束ねる偵察総局長を務めていた。米朝間では北朝鮮で拘束された米国人記者2人の解放問題が焦点になっていたが、この解放に向けて窓口の役割を果たしたのが金英哲偵察総局長と国家情報局(DNI)のジョセフ・デトラニ北朝鮮担当管理官だった。デトラニ氏は2010年にも「大量殺傷武器拡散防止」のために秘密裏に訪朝したという。このルートでの準備作業の後に、ビル・クリントン元大統領が2009年8月に訪朝し、2人を連れて帰った。デトラニ氏はCIAで勤務した後に、2003年から2005年末まで6カ国協議の米次席代表を務め、DNIへ移った。

 同紙はさらに、デトラニ氏の後は2012年からマイケル・モレル、アブリル・ヘインズ両CIA副長官(当時)がその役割を引き継ぎ、モレル副長官は2度、ヘインズ副長官も1度訪朝したと報じた。2014年にはジェームズ・クラッパー国家情報長官(当時)が北朝鮮を訪問し、金英哲部長と抑留米国人の釈放問題などを協議した。

 だがオバマ政権の第2期後半になると、この情報当局者間の対話が切れたという。北朝鮮は2016年から2017年に核ミサイル開発を加速化させたが、2017年8月になりCIAコリア・ミッションセンターのアンドリュー・キム・センター長がシンガポールで北朝鮮当局との接触に成功し、再びこのチャンネルが稼働し始めた。

 韓国の鄭義溶(チョン・ウィヨン)国家安保室長ら文在寅(ムン・ジェイン)大統領の特使団が、2018年3月に大統領特使として訪米し、金党委員長が米朝首脳会談を希望していると伝えると、トランプ大統領はこれを受け入れ、昨年6月のシンガポールの史上初の米朝首脳会談の開催へとつながったのである。

 これまで北朝鮮外務省が窓口となる「ニューヨーク・チャンネル」は、拘束者の釈放など機微のある問題ではあまり機能しないため、情報当局者間チャンネルの役割の重要さが指摘されてきた。昨年からの米朝首脳会談へ向けた動きにおける米国のCIA、韓国の国家情報院、北朝鮮の党統一戦線部の役割は、本欄でもしばしば指摘したとおりだ。

 金英哲部長は、米国のメディアでは「元スパイチーフ」と紹介される。これは、金英哲部長が北朝鮮の情報工作機関である偵察総局のトップを務めていたからだ。北朝鮮では2009年に軍偵察局と朝鮮労働党の党作戦部、党35号室などを統合して偵察総局をつくった。金英哲氏は軍人で南北対話の軍事部門などを担当してきたが、この際に偵察総局長に起用された。このために「元スパイチーフ」なのである。その後、党統一戦線部長を務めていた金養建(キム・ヤンゴン)氏が2015年12月に急死したことを受けて、その後任者として党統一戦線部長に就任した。

 ビショップCIA副長官がわざわざ金英哲部長と非公開で会ったということは、米国が今後もこの情報当局者間チャンネルを活用する意思を示したものと見られる。CIAではこれまで、韓国系米国人のアンドリュー・キム氏と長官当時のポンペオ氏が窓口になってきたが、今後はビショップ副長官が責任者となり、チャンネルを維持するという引き継ぎ協議であったのではないか、と見られる。

「会うのが楽しみだ」

 トランプ大統領と金英哲部長の会談で、第2回米朝首脳会談の期日や場所が確定するのではという見方があったが、結果は「2月末頃」という曖昧な時期で、場所の発表もなかった。そこでこの会談の成果について疑問視する見方が出た。いつもはすぐにツイッターなどで反応をするトランプ大統領が沈黙を守ったことが、こうした見方をさらに強めた。

 だがトランプ大統領は1月20日になり、ツイッターで「メディアは、北朝鮮についてわれわれが成し遂げてきた進展を認めていない。オバマ政権末期と現在の状況を比べてみろ。代表団とは素晴らしい会合があった。金正恩委員長と2月末に会うのが楽しみだ!」と、金英哲部長との会談を評価した。

 米メディアを含めて、米朝間の協議に一定の進展があったのではないかという見方に傾き始めたのは、金英哲部長の訪米に連動するような形でスウェーデンのストックホルムで1月19日から21日まで崔善姫(チェ・ソンヒ)外務次官とスティーブン・ビーガン北朝鮮担当特別代表の2泊3日の「合宿協議」が行われたからだった。

北朝鮮に「新顔」登場

 金英哲部長は1月19日午後3時50分頃、ダレス国際空港から北京に向けて出発し、帰国の途に就いた。

 ホワイトハウスのソーシャルメディア担当のダン・スカビーノ氏は1月19日、トランプ大統領が金英哲部長から金党委員長の親書を受け取る写真と執務室で北朝鮮側と会談する写真の2枚をツイッターで公表した(冒頭写真)。

 トランプ大統領は執務室の机の前に座り、その向かいに手前からビーガン特別代表、ポンペオ国務長官、金英哲部長、朴哲(パク・チョル)朝鮮アジア太平洋平和委員会副委員長(推定、元国連代表部参事官)、キム・ソンヘ党統一戦線部統一戦線策略室長、金革哲(キム・ヒョクチョル)国務委員会対米特別代表(元駐スペイン大使)が並び、金英哲部長の後ろには通訳が座った。

 意外だったのは、平壌から金英哲部長に同行して訪米した北朝鮮外務省の崔(チェ)ガンイル北米局長代理の姿がなく、代わりに対米交渉では「新顔」ともいえる朴哲氏と金革哲氏がいたことだった。

 朴哲氏は2011年から2015年まで、北朝鮮の国連代表部参事官を務めた。米政府系メディアの『自由アジア放送』(RFA)は2016年3月、国連代表部の同胞担当参事官が朴哲氏からリ・ギホ氏に交代したと報じていた。朴哲氏は2011年に北朝鮮のテコンド師範団の米東部巡回を担当し、2015年には女性活動家たちが南北の非武装地帯(DMZ)を訪問する「ウーマン・クロス・DMZ」を支援したりしたことがある。こうした活動内容から、外務省所属ではなく、海外同胞や民間交流を担当する党統一戦線部傘下の海外同胞援護委員会などに所属していたのではないかと見られている。

『CNN』は、朴哲氏を朝鮮アジア太平洋平和委員会所属としている。同委員会は党統一戦線部が国交のない国との交渉機関として活用している団体で、委員長は金英哲部長だ。韓国の『中央日報』は、韓国政府当局は朴哲氏を朝鮮アジア太平洋平和委員会副委員長兼党統一戦線部副部長と判断している、とした。ポンペオ長官が昨年7月に訪朝し、金英哲部長と会談した際の写真に朴哲氏に似た人物が写っていることなどからも、党統一戦線部所属と見られる。

金革哲氏とは

 スイスで開かれた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)への出席を取りやめたポンペオ国務長官は、1月22日に同会議へのビデオ中継参加で「(2月中に)北朝鮮との間に良い動きがあるだろう」と述べて、第2回米朝首脳会談に期待を示すととともに「金英哲氏がトランプ大統領と会談しただけでなく、ビーガン特別代表が新たに任命された人物と会う機会を得た」と述べた。

 ポンペオ長官は、ビーガン特別代表のカウンターパートは崔善姫外務次官としてきたが、北朝鮮側がビーガン特別代表のカウンターパートを新たに任命したことを明らかにしたのだ。後にその人物が、金革哲元スペイン大使だと判明した。

 金革哲氏は、2014年1月に駐スペイン大使に任命された。しかし、北朝鮮が核ミサイル開発を続けたために2017年に追放されている。

 韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英国公使が自身のブログで明らかにしたところでは、金革哲氏の父親も外交官で、カンボジア大使を務めた後に引退したという。金革哲氏は太前公使と同じ平壌外国語大卒でフランス語学科を卒業し、外務省に入省した。

 太永浩氏によると、北朝鮮外務省の仕事は各国大使館へ派遣される地域局と、外交的な戦略を練る戦略局、北朝鮮の外交を側面支援する儀典、領事、報道などの支援部門の3つの部門に大別されるが、大半の若者は早く海外へ行くことを期待して地域局を希望するという。しかし、金革哲氏は入省当時、父親がカンボジア大使を務めていたので海外へ出る可能性はなく、自ら戦略局を希望したという。

 戦略局は北朝鮮外務省では9局と言われ、北朝鮮外交の戦略を練るために1日中文献や資料を読み、最高指導者へ上げる文書作成を主な仕事とする。そのために一般部署では見ることのできない韓国の報道をはじめ、広範な資料に目を通すことが可能だという。

 9局に配属されると、希望者が少ないこともあり長期間勤務となるが、一人前の戦略を立てるようになると急速に出世するケースもある。その代表が9局に在籍した金桂冠(キム・ゲグァン)第1外務次官や李容浩(リ・ヨンホ)外相なのだそうだ。金革哲氏は、李容浩外相が9局在籍時に自分の部下として鍛え育てた人材で、2005年に6カ国協議が北京で開催された時には若くて目に付かなかったが、金桂冠首席代表の演説文を作成するほどの力量を蓄えていたという。金革哲氏は6カ国協議と2006年に北朝鮮が初の核実験を行った時の対応で評価を受け、2009年に30代で9局の副局長に起用されたという。

 金正恩時代が始まると外務省でも世代交代が進んだが、金革哲氏は30代で外務省参事に昇格した。30代で外務省参事に起用されるのは初めてという。金桂冠第1外務次官は金革哲氏が2000年代初めから10年近く海外に出ずに苦労したことを勘案して2014年1月に駐スペイン大使に任命したという。太永浩氏は、金革哲氏は金桂冠、李容浩両氏が北朝鮮外交の戦略を担わせるために戦略的に育てた人材だとした。

『共同通信』は1月28日に外交筋の話として、金革哲氏は現在、国務委員会所属だと報じ、韓国政府もこれを確認した。金革哲氏がいつから国務委員会所属になったのかは不明だが、韓国メディアは、金革哲氏の現在の職責は「国務委員会対米特別代表」であると報じた。(つづく)

平井久志
ジャーナリスト。1952年香川県生れ。75年早稲田大学法学部卒業、共同通信社に入社。外信部、ソウル支局長、北京特派員、編集委員兼論説委員などを経て2012年3月に定年退社。現在、共同通信客員論説委員。2002年、瀋陽事件報道で新聞協会賞受賞。同年、瀋陽事件や北朝鮮経済改革などの朝鮮問題報道でボーン・上田賞受賞。 著書に『ソウル打令―反日と嫌韓の谷間で―』『日韓子育て戦争―「虹」と「星」が架ける橋―』(共に徳間書店)、『コリア打令―あまりにダイナミックな韓国人の現住所―』(ビジネス社)、『なぜ北朝鮮は孤立するのか 金正日 破局へ向かう「先軍体制」』(新潮選書)『北朝鮮の指導体制と後継 金正日から金正恩へ』(岩波現代文庫)など。

Foresight 2019年2月13日掲載

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