平成最後「芥川賞」候補者になって(古市憲寿)

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 芥川賞をもらえなかった。もちろん残念ではある。その時の心境を忘れないように、ツイッターにはすぐに「がーーーーーん」とつぶやいた。まがりなりにも「芥川賞候補作家」としては、信じられないほど貧弱な語彙だが、それが率直な想いだったのだから仕方ない。

 もっとも見事芥川賞を受賞した上田岳弘さんも、受賞がわかった時の気持ちを尋ねられて「受賞したな」と率直な言葉を漏らしていた。作家性と、咄嗟に出てくる言葉に、あまり関連性はないのだろう。

 僕の場合、選考会当日は友人と焼き肉を食べた後、帰宅途中に報告の電話をもらった。実は、電話の第一声で受賞か落選かはわかる。もしも賞をとれていた場合、主催の日本文学振興会から直接連絡をもらう。一方、選外だった場合は文藝春秋の編集者からの電話となる(今後、芥川賞や直木賞にノミネートされた時はぜひ参考にして欲しい)。

 だから電話を取って、「文藝春秋」の「ぶ」の声が聞こえた瞬間に、今回は賞がダメだったことがわかった。

 確かに残念だった。ただ冷静になって考えてみると、悲しいのは『平成くん、さようなら』という作品が評価されなかったことではない。僕にとって『平成くん』は、非常に大切な小説だ。誰が何と言おうと、作品世界や登場人物に対する愛情が揺らぐことはない。「平成くん」も「愛ちゃん」も、平成が続くこの世界のどこかにいるような気がするし、きっと平成が終わっても彼らのことを思い出すのだと思う。

 では何がショックだったかというと、周囲の期待に応えられなかったことかも知れない。芥川賞にノミネートされて、たくさんの人からお祝いの連絡をもらった。感想を聞くとほぼ誰も答えられなかったので、小説を読んでくれたわけではない。

 中には「頑張ってね」と言ってくれる人もいた。小説自体はすでに発表されたものであり、賞の選考にあたって僕が頑張れることは何もない。

 だけど、応援の言葉をもらうたびに、「みなさんの期待に応えたい」と思ってしまう。そう、まるでアイドルのようなのだ。

 というわけで、芥川賞にノミネートされてから、選考会までの1カ月は、まるでアイドルのような気分だったと思う。しかし応援はありがたいが、時に煩わしくもある。特に自分ではどうしようもないことに対する応援なら尚更だ。

 だから、賞の結果が出て、少しほっとしている。応援がぱたっと止んだからだ。だけど、もともと仲のいい友人は、変わらずに一緒にいてくれる。

 たとえば選考会前、俳優の佐藤健から「もし賞をとれなかったら、何でも願いを一つ叶えてあげるよ」という格好いいことを言われた。何人もの友人からは、残念会をしようという誘いがあった。そんな友だちの優しさを再確認できただけでも、今回の一件は悪くなかったのかなと思う。と、無難にこの文章をまとめようとしているのは、アイドル期間の後遺症かも知れない。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。

週刊新潮 2019年1月31日号掲載

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