「山一證券」破綻 公開されなかった“最終報告書”に消えた戦犯

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数十人の名前

 その結果、作られたのが98年6月の「第1次報告書」(13ページ)、そして同10月の「最終報告書」(130ページ)である。

 ところが、公表の段階になってストップがかかる。国広弁護士らは公表を迫ったが、野澤社長にとって、先輩を法廷に引きずり出すのは忍びなかったのかも知れない。結局、二つの報告書は握りつぶされてしまう。後に朝日新聞が「第1次報告書」をスクープし、役員ら10人の法的責任について言及されていることが明らかになるが、重要なのは最終報告書だ。

『しんがり 山一證券 最後の12人』(講談社+α文庫)の著者でノンフィクション作家の清武英利氏によると、

「最終報告書には役員だけでなく簿外債務に関わった幹部社員らの実名や役割が詳細に記されています。そこから分かるのは、一握りの経営陣だけではなく、数十、数百という幹部が不正を共有し出世していた組織犯罪の実態でした。いわば“背信の階段”です。最後の経営陣が最終報告書を封印したのは、彼らもこの背信の旧経営陣によって引き立てられたからで、不正に蓋する日本的な構造を最期まで抱え込んでいたのだと思います」

 自主廃業から21年、山一破綻の「戦犯リスト」は、いまだに封印されたままだ。

週刊新潮 2019年1月3・10日号掲載

ワイド特集「平成30年史の『俗物図鑑』」より

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