島田紳助が語った“上沼恵美子”起用のウラ話 「M-1審査員ってまず、なり手がないやん……」

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オレのやりたかったM–1

 上沼さんは先輩なんですけど一度引退されてるから、オレは勝手に同期だと思ってました。そんで06年に、松本人志と一緒にやってた「松紳」という番組のゲストに来てくれはって、そのあとにご飯食べに行ったら、非常に物腰のやわらかい人やった。それから仲よくさしてもらいました。

 だから、スタッフ通じて上沼さんに“審査員をどうしてもお願いしたい、いかがでしょうか”と伝えたら、快く引き受けてくださった。それなのに、ホンマ気分悪いやろなって。でも、審査員にプレッシャーがかかるようにしたのも、わけがあるんですわ。

 M-1を作ったのは2つ理由があったんです。1つは、若い子がスターになったらええなってこと。もう1つは、芸人を辞めなあかんやつは辞めなあかんってこと。10年やって決勝に上がれへんやつは、辞めなあかんのです。芸能界で一番不幸なのは、才能ないのに辞めない子。そんな子らに見切りをつけてもらうためにも、こういう大会が必要だろうと。だから「3回戦通らんやつにはギャラやるな」と、オレは言ってましたよ。逆に、3回戦通ったら、お笑いのプロライセンスを発行してもええなって、相談してました。

 吉本のやつと2人で始めたんですが、賞金は1千万円やと。で、審査も公開審査やと。公開審査となれば、審査員も視聴者から審査される。「なんでこんなおもろい漫才に、この点やらへんのか」と、審査員が言われるわけですから。点数をつけることによって、審査員もそれだけリスクを背負って審査することになるんです。

 オレがやっていたころは、始まる前にミーティングをして、「基準点はこれぐらいにしてくれ」「こういう見方をしてほしい」ということを、事前にお願いしてましたね。少しでもみなさんに納得してもらえるように。

 ただ、何点をつけるかというのは、事前に示し合わせない、まったくのガチ。だから、1組目はどうしても不利になってしまうんですよ。それが基準点になってしまうから、高得点はつけづらい。なので出場順は抽選にして、不公平のないようにしてました。

 キングコングの梶原雄太が、思ったような漫才ができなくて、点数が出ないうちから泣いてたことがあって、その姿見て、感動しましたよ。「梶原、仕方なかったな。ただ、この点数はリアルや。悔しいけど、事実や」と伝えた。梶原も、その点数をしっかりと受け止めて悔しがってた。それがオレのやりたかったM-1やった。なによりも、演者が納得できる大会を作りたかった。だから、演者が納得せえへんで文句言ってるのは、非常に残念です。

(2)へつづく

週刊新潮 2018年12月27日号掲載

特集「引退から7年『島田紳助』『M-1上沼騒動』を叱る」より

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