小学校「卒業式の袴」問題で賛否両論 格差助長で反対? 伝統尊重で何が悪い?

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

「自由至上主義」と「自由主義」の対立?

 現在のところ、女子児童の袴が問題になっているが、業界は着々と男子児童もターゲットにしている。インターネットで検索すれば、男児用の紋付き袴が多数、表示される。

 このように、現在進行形の事案であり、冗談抜きの“国民的議論”だ。この問題に意見を表明した著名人や識者も少なくない。その代表として2例を紹介したい。まずは袴の擁護派から。

 タレントのフィフィ(42)は、週刊女性PRIMEに「フィフィ姐さんの言いたい放題」を連載している。そして17年3月18日「フィフィ『何が問題なの?』小学校卒業式での袴着用自粛呼びかけに疑問」の記事をアップし、この問題に触れた。主張の根幹部分を引用させていただく。

〈家庭の経済状況が現れてしまうから、と敏感になる人がいるようですが、袴に限らず、そういう“差”は日常生活のいたるところにあるわけです。そして、子どもたちは、そうした差をそれぞれ抱えながらも、それなりに上手くやっていっていますよ。

 第一、社会に出れば“差”があるなんていうことは痛いほど感じるはず。だから、いっそ早いうちから経験して、将来その差を埋めたいのならば、モチベーションを上げて、努力することのほうが大事なんじゃないかな。差があったとしても、子どもは子どもなりに社会勉強していくと思うんです〉

 次は袴の批判派だ。YAHOO!ニュースの個人コーナーに「罪と罰のはなし」を連載している甲南大学法科大学院教授の園田寿弁護士(65)は、17年3月16日に「小学校の卒業式、『袴(はかま)禁止』に賛否」の記事を掲載した。

 園田弁護士は「卒業式における服装については、学校が〈ドレスコード〉として一定程度の制限を設けるべきではないかというのが私の意見です」と主張する。

 この袴の問題は「個人が自己の願望を追求するときに、他者への配慮はどうあるべきか、あるいは、社会の仕組みはどのように組み立てられるか」という政治哲学的なテーマにも係ってくる、と園田弁護士は指摘するのだが、それでは結論部分をご覧いただこう。

〈私は弱者へのこころ配りのない自由は、道徳的退廃につながると思います。経済的に恵まれない家庭で、子どもにせがまれた親の気持ち、あるいはそのような親の気持ちを思って我慢する子どもの気持ち、このようなことに配慮して学校は、一種の〈ドレスコード〉として、不必要に華美な服装にならないように一定のルールを設定することは教育機関として正しい行いだと思います〉

 フィフィは「社会に格差があるのは事実。小学校も無理に隠さず、その現状を卒業式に反映させるべき」と主張している。これを「自由至上主義=リバタリアニズム」と評することも可能だろう。「他者の身体や私的財産などが侵害されない限り、各人が望む行動は全て自由に行われるべき」という考えだ。

 一方の園田弁護士は、「富者の子も貧者の子も、共に等しく義務教育を受ける小学校であるからこそ、その平等性を重視しよう」と訴えている。不平等が存在する際、個人の自由を守るためには、あえて公的機関の介入も必要だとする考えだ。これは伝統的な「自由主義=リベラリズム」と言っていい。

 自由を最大限に尊重するフィフィと、ある種の制限を課すべきだと主張する園田弁護士。さて、あなたが支持するのは、どちらの意見だろうか?

週刊新潮WEB取材班

2018年12月21日掲載

前へ 1 2 3 次へ

[3/3ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。