私は母になれなかった――鳥取県知事を謝らせた「小池百合子」都知事の言葉狩り 識者の意見は

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母国は? 母語は?

 他方、評論家の呉智英氏は、

「例えば『母国』という言葉はどうでしょうか」

 と問いかけをする。

「難民の人たちが“この国こそ母国のようだ”と発言した際、“母になれなかった私には分からない”なんてことを言う人がいるでしょうか。仮に『母国』という言葉をそのままの意味で捉えたら、“母国なるものがお前を産んだのか”“地面からお前は生まれたのか”って話になってしまいます。本来、母国とは“母のように自分を育ててくれる、懐かしい国”として使っているわけですね。小池百合子の考え方で言えば、母国という言葉を使っただけで“私は母になれなかったので、母国というモノは分かりません。私の心は傷付きました”と言われてしまうことになります」

 また、「母語」という言葉を例に取って、

「これは『マザー・タング』の直訳で、“母が教えた言葉”という意味です。母親が子どもを抱きながら、“これがあんよね、おててね”って教えるから『マザー・タング』になるわけです。じゃあお母さんがいない子や、お母さんが蒸発してしまった子は『マザー・タング』と言わないのでしょうか。そんなことはありません。お姉さんやお婆さん、はたまたお父さんが教えた場合でも『マザー・タング』となる。つまり『母』とはモノのたとえで『母国』や『母語』もそれと同じ。ですから『母の』という形容詞も、慈愛に付ける枕言葉みたいなものなのです」

 更に、「彼女の論理で言えば……」と付け足して、

「お母さんが早く死んでしまったり、育児放棄で出ていってしまったり、早くに離婚してお母さんの顔を見たことがないっていう場合でも、『母』という言葉をその人の前で使っちゃいけないのかということになります。こんなことにばかり気を使いすぎていると、そのうち言語表現が痩せ細ってしまって、文化的な豊かさがどんどんなくなってしまう。ちなみに今の“痩せ細る”って言葉も、小池百合子のロジックに照らせば“太っている私の立場はどうしてくれるんだ!”なんて形で肥満気味の人から不満の声が出てくるかもしれませんよね」

 と苦笑するばかり。

「鳥取県知事の発言は、小池都知事を侮辱していることにもならないですし、一般的に子どもを産めない人への侮辱にもなりません。だから、二重三重にくだらない言いがかりとしか捉えようがないのです」(同)

 東京五輪直前の知事選で再選され、廟堂の一角を占めても……。

「気に食わないことを言う人も山ほど来る。いちいち目くじらを立てていたらオリンピックの『顔』にはなれない。都知事はもっと広い心を持たなアカンでしょうな」(先の徳岡氏)

 ともあれその際、小池女史を五輪の「成功の母」と評する言葉は狩られているのかもしれない。

週刊新潮 2018年11月29日号掲載

特集「『私は母になれなかった』 鳥取県知事を謝らせた『小池百合子』都知事の『言葉狩り』」より

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