「みんなの笑顔」求め続ける米トッププロの「サンクスギビング」

国際Foresight 2018年11月27日掲載

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 米ツアー選手のトニー・フィナウを、みなさんはご存じだろうか。今年4月の「マスターズ」のパー3コンテストでホールインワンを達成したとき、喜び勇んで後ろ向きのまま走って転び、足首を思い切り捻って屈み込んだシーンを覚えている方は多いかもしれない。

 身長190センチ、体重90キロの立派な体格を誇るフィナウは、2015年に米PGAツアーにデビューし、2016年の「プエルトリコ・オープン」で初優勝。以後、優勝こそないものの、2018年はメジャー4大会のうちの3つでトップ10入りするなど着実に成績を向上させ、すでに世界ランキング15位前後に位置するトッププレーヤーになっている。

 そうやって成績やランクが上がり、手にする賞金が増えれば増えるほど、生きることに必死な人々に目を向け、チャリティ活動を精力的に行うフィナウの姿が、とても眩しく感じられる。

 米ゴルフ界の今年のサンクスギビング(感謝祭)ホリデー(11月24日)は、9ミリオン(約10億円)のビッグな賞金を懸けた「タイガー・ウッズVS.フィル・ミケルソン」のドリームマッチで沸いていた。

 だが、その一方で、フィナウはサンクスギビングを祝う経済的余裕がない人々のために1000食以上のターキー(七面鳥)ディナーを振る舞ってともに感謝祭を祝い、大勢の人々を笑顔にしていた。

「みんなの笑顔が見られること。それこそが僕が一番求めているものだ」

 そんなサンクスギビングの素敵な話をお届けしようと思う。

故郷の大会に恩返し

 まず、フィナウという選手のことを簡単にご紹介しよう。現在29歳の米国人だが、両親はトンガとサモアの出身で、フィナウは男5人女2人の7人兄弟の上から3番目。米ユタ州ソルトレイクシティで生まれ育ち、高校時代まではバスケットボールの選手だったが、その後にゴルファーへ転身した。

 2007年にプロ宣言し、草の根のミニツアーや下部ツアーで腕を磨いた後、2015年にようやく米ツアーに辿り着いた。

 プロ転向から実に8年。下積み時代がそれほど長期に及んだ最大の理由は、フィナウが経済的に困窮していたことだった。

 フィナウ一家の家計は「一時は本当に苦しくて、食べるのがやっとだった」そうで、フィナウは貧困に直面しながら育ったという。

 ゴルフの練習や転戦のための費用、試合のエントリー費用を賄うため、アルバイトに多大なる時間と労力を費やす「二足のわらじ生活」は、フィナウのゴルフの上達を妨げた。

 そんな中、すべての時間とエネルギーをゴルフだけに注ぐことができたら、フィナウはあっという間に成長する逸材だと感じ取る人々が徐々に増え、地元で開催される下部ツアーの「ユタ選手権」は、フィナウに何度も推薦出場をオファーするなどして彼をサポートし続けた。

 8年間の下積み後、ついに米ツアー選手になったフィナウは、早々に社会貢献のための「トニー・フィナウ財団」を設立。

「練習したい、練習さえできればと何度思ったことか。僕のような苦労や遠回りを、これからPGAツアーを目指す才能ある若者たちに経験させたくない」

 2016年に米ツアー1勝を挙げ、今季は数々の好成績を収めて高額賞金を手にするトッププレーヤーになったフィナウは、下積み時代に何度もチャンスをくれたユタ選手権を経済的に支えていくため、自ら大会をサポートすることを決めた。

「若者たちを手助けし、故郷の大会に恩返しができることが、何よりうれしい」

こだわった「温かい食事」

 そんなフィナウが優しい視線を向けるのは、未来のゴルファーばかりではない。かつて貧困生活を経験したからこそ、生きるため、食べるために寝る間も惜しんで働きづめになっている人々やその家族のことを彼はいつも気にかけている。

 11月22日のサンクスギビングの前夜、試合を終えて故郷ユタ州のローズパークという町に戻ってきたフィナウは、地元のレストランの協力を得て、サンクスギビングの定番となるターキーディナーを1000食以上、準備した。

 翌日の感謝祭当日は、これらを温めた状態で「ホットミール(温かい食事)をみんなに食べてもらいたい」。

「温かい食事」にこだわったところが、寒さや飢えの厳しさ辛さを知っているフィナウならではのこだわりであり、優しさだった。

 あらかじめ地元の教会や学校、企業などを通じてディナーへの参加者を募り、SNSでも呼びかけたところ、1000人以上の人々が続々とディナー会場となった体育館に集まってきた。

 フィナウの提案に賛同してくれた地元のミュージシャンが奏でるカントリー・ミュージックが感謝祭の素敵な演出になっていた。

 夫と妻、7歳の娘の3人で参加していたある家族は、「娘が生まれて以来、初めて家族3人揃ってサンクスギビングのディナーを食べることができた。私たちはトニー・フィナウという人がどこの誰だかも知らずにここへ来ましたが、今日ここにいる全員がトニーの大ファンになった。これからは彼が試合に出るときは一生懸命、応援します」と満面の笑顔で語っていた。

「僕が一番求めているもの」

 数年前、私はフィナウの応援に駆け付けた彼の兄弟姉妹たちと試合会場で出会い、18ホールを一緒に歩いたことがあった。

 姉と妹は元バレーボールの選手。すぐ下の弟はプロゴルファーで、6番目の弟はプロボクサー。みな気さくで、とてもチャーミングで、そのとき私は彼らが貧困に喘いで育ったことを想像すらしなかったが、みな一緒に歩き、一緒に芝の上に腰を降ろし、常に肩を寄せ合っていた彼らは、ひたすら明るい笑顔だった。

 フィナウ自身も日ごろから笑顔を絶やさない選手だが、その胸の中には常にこんな想いがあるという。

「貧しかった幼い日々は、サンクスギビングやクリスマスに小さなプレゼントが1つでももらえたら、その年は僕にとって最高の1年になると思えて、心の底から喜んだ。

 小さなヘルプを求めている人々がたくさんいる。お金の心配なく家族で一緒に食事をしたいと願っている人々がたくさんいる。そういう人々の手助けができることに、今、僕は何よりも喜びを感じている」

 11月のユタ州はすでに真冬の寒さだ。その中で迎えたサンクスギビングのこのディナーに、フィナウの妻と4人の子供たちも一緒に参加し、楽しい時間を過ごした。

「温かい食事」を提供することにこだわったフィナウは、ディナーが終わるころ、今度は暖かそうなニット帽を参加者1人1人に配り、声をかけ、ともに笑った。

「こうして、みんなの笑顔が見られること。それこそが、僕が一番求めているものだ」

 こういう素敵なナイスガイこそが、世界中の人々が一番求めている社会のヒーローだ。

舩越園子
在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。