「祝Suchmos紅白出場」キャンペーンを行う岐阜のタンメン屋 店主は意外な人物

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なぜタンメン屋に?

 1979年にリーグデビューを果たした戸塚氏は、読売クラブ、そしてその後身であるヴェルディ川崎などで活躍し、日本サッカー黎明期を支えたMFである。96年の現役引退後も、解説者ほか、「FC岐阜」や「FC町田ゼルビア」、近年は「レイジェンド滋賀FC」などで指導者として活動している。

 読売時代にチームメイトだった川勝良一氏は、「サッカーマガジン」13年8月6日号で、現役時代の戸塚氏について以下のように振り返っている。

〈「とにかく、哲也はサッカーのスタイルが違っていた。速かったし、今の選手みたいに派手なフェイントは使わないんです。ボールをまたいだりとかはせずに、スピードに乗った中で、ボールを少しだけ動かして抜いていく、最短のコースでゴールまで行ってしまうような」〉(「連載・私が出会った和の匠 日本の名手を探す時空の旅」より)

 当時を知るファンなら、その姿が目に浮かぶ、といったところだろうか。記事にはこうもある。

〈時代が時代なら、世界の舞台で活躍できただろうと思わせる選手の一人であったことは間違いない〉

 はて、そんな名プレーヤーがなぜタンメン屋に?

「もともと飲食店には関心があるみたいで、現役時代から10年ほど前まで、神奈川県川崎市で焼き鳥屋のオーナーをやっていたみたいなんですよ」

 と解説するのは、さるスポーツ記者。なるほど、息子TAIKINGの出身地も「神奈川県横浜市」とある。

 岐阜でタンメン屋をオープンするに至った経緯について、一般社団法人「日本サッカー名蹴会」HPで本人が語っていた。詳しくは「戸塚哲也 岐阜で見つけたセカンドライフ」をご参照いただきたいが、かいつまんでいえば、FC岐阜監督時代に同地に魅せられ、15年に母を連れて完全移住。好きだった湯麺が岐阜でメジャーでなかったこともあり、昨年5月に「湯麺戸塚」をオープンしたのだとか。

 サッカー日本代表からタンメン屋、そして紅白歌手の父――。先の川勝氏のプレー評とは裏腹の、トリッキーな道のりともいえる。

2018年11月25日掲載

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