女賭博師はほんの一面「江波杏子さん」考える姿と女の業(墓碑銘)

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 今後の仕事についても打ち合わせていた矢先の、突然の訃報だったという。週刊新潮コラム「墓碑銘」から、生涯を通じて“女優”であり続けた江波杏子さんの歩みを振り返る。

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 1966年の「女の賭場」は、大映の看板女優、若尾文子が主役の予定だったが、浴室で転んで負傷。江波杏子(きょうこ)さん(本名・野平香純(のひらかすみ))は代役に選ばれた。

 予期せぬ大ヒットにシリーズ化され、71年までに17本が作られたのだから人生はわからない。68年には7本も公開されている。昇り竜のお銀を演じた江波さんは、「入ります」の決めぜりふで喝采を浴びた。

「東映の『緋牡丹博徒』シリーズより先に女賭博師で人気を呼びました。緋牡丹のお竜こと藤(現・富司)純子さんは情念を感じさせますが、江波さんは顔つきも相まってクールな印象です。独特の妖艶さがありサイコロを振る手つきも繊細。笑わない感じが格好いいと女性からも人気でした」(映画評論家の北川れい子さん)

 勝新太郎の「座頭市」、市川雷蔵の「眠狂四郎」とともに、江波さんの「女賭博師」は、大映の屋台骨を支えるシリーズとなった。

 42年、東京生まれ。父親は飲食業、母親は東宝で活躍した女優の江波和子だが、結婚前に引退している。4歳の時、その母親は肺結核で他界。59年、早く自立したいと応募した大映に13期のニューフェイスとして入社。

 映画デビューからまもない60年には、三島由紀夫が初主演した「からっ風野郎」にキャバレーの女給役で出演。膝の上に座る役として三島から指名された。

 脇役ばかりから、「女の賭場」で一躍スターになったのに賭博師役は嫌だった。賭け事が嫌いで任侠の雰囲気にも馴染めない。映画の斜陽化で71年に大映が倒産、賭博師役から解放された。

 斎藤耕一監督の「津軽じょんがら節」(73年)で新境地を開く。東京のバーで働いていたが、若いやくざの愛人を連れて故郷の漁村に帰ってきた女の役だ。

「故郷に受け入れられない女の悲しさが自然に表れていました。斎藤監督は感情の動きと現場の風景を丁寧に取り込む名手です」(映画評論家の白井佳夫さん)

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