高橋一生がなぜかバナナマン日村に見えてくる 山ナシ谷ナシ動植物頼みドラマ「僕らは奇跡でできている」

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 知り合いに、時間をまったく守れない人がいた。その守れなさ加減といったらもはや芸術の域で、いつも「蕎麦屋の出前」と揶揄されていた。徒歩5分の場所にいて、電話口で「今、出ます」と言ってから、到着まで2時間かかる。仕事上の重要な会合ですら大幅に遅刻。が、悪びれることなく泰然としている。鋼の心臓と感心したが、時にはイラッとすることも。が、実はその人がいなくても、大概のことはどうにでもなる、と気づいてからは怒りも感じなくなった。寛大なわけではない。エネルギーを使うのが無駄という、自己愛ゆえの結論である。

 時間や決まり事を守れない、現代社会においては厄介な人と、どう付き合うべきか。ドラマになると、そういう人は基本的に天才肌とか才能あふれる人として描かれる。それでいいのかなと思いながら、高橋一生が全力で可愛い子ブリッコするのを冷ややかに眺めておる。前々回から引き続き、台場さん(フジ系ドラマ)応援シリーズ第3弾、「僕らは奇跡でできている」だ。

 大学講師の高橋は動物行動学が専門。自然界に興味対象があふれすぎていて、動植物に気をとられることしばしば。講義に遅れるわ、必要書類を提出しないわ、歯科医院の予約をぶっちぎるわ、現代ではなかなかに生きづらそうな人である。

 が、家政婦の戸田恵子、上司の小林薫、祖父の田中泯などの理解者に囲まれている。ハートウォーミングなヒューマンドラマって薄っぺらい響きなのだが、高橋の一連の行動からも、発達障害がテーマとわかる。

 わかるんだが、高橋の行動に共感や感動は起こりにくい。特に幼児性あふれる行動パターンに戸惑う。時折、高橋の表情にバナナマン・日村勇紀が頭をかすめる。歯を治した後の日村が就寝前に「イーッ」って。専売特許だった翳りや憂いを封じて、無邪気を演じる高橋が切ない(痛いの手前)。

 無邪気にしなくてもいいのでは? ほっこりイメージの子供&動植物と繋げなくてもいいのでは? 「心温まる」の売り文句に引きずられすぎて「安易な性善説ファンタジー」化しているような。各局ドラマが心磨り減る社会現象と問題提起、執拗なくらいの山場をこれでもかと放り込んでいる中、このドラマだけ妙にメルヘンチック。テーマはいいのに、今期の中では実に弱い。今のところ山ナシ谷ナシだし、結果、埋もれてしまう。

 対照として登場するのが、天然の高橋に振り回される歯科医・榮倉奈々だ。恵まれた背景もあるが、頑張り屋で完璧主義。「当たり前のことができない人」が理解できない優等生。競争や肩書に一切興味のない高橋から「人と比べない人生」を学んでいく。よくある構図ね。

 もちろん高橋を敵視する人物も。高橋に懐く少年の母(松本若菜)、高橋に嫉妬する上昇志向の要潤、事なかれ主義の事務長・阿南健治。こっちがおおかた世間の声ってヤツだ。それでもメルヘン臭が漂いまくり、根本の意識改革までたどり着かず。ちんまり綺麗事にまとめてんじゃねーよ! とチコちゃんと化している。

吉田潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビ番組はほぼすべて視聴している。

週刊新潮 2018年11月8日号掲載

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