「ゴルフ」と「三つ子の魂」で子供たちを育てる

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 米ツアーは10月から早くも2018-19年の新シーズンが開幕。先週は開幕第3戦の「ザ・CJカップ・アット・ナイン・ブリッジズ」が韓国で開催され、ブルックス・ケプカ(28)が通算5勝目を挙げ、自身初の世界ランキング1位に輝いた。

 ケプカと言えば、8月のこの欄で「馬のカイロ」の話をご紹介したばかりだ(2018年8月29日「『全米オープン』連覇『全米プロ』制覇偉業の秘密は『馬のカイロ』!」参照)。今年1月に左手首を故障し、戦線離脱して4月の「マスターズ」も泣く泣く欠場したケプカは、ワラにもすがる思いで馬専門のカイロプラクターを訪ねたところ、30分ほどの施術で奇跡的に回復。「フィックスされた。痛みがなくなった」。

 4月から戦線復帰し、6月の「全米オープン」で大会連覇を達成。さらに8月の「全米プロゴルフ選手権」も制し、メジャー通算3勝を挙げて、PGAオブ・アメリカと米PGAツアーの双方からプレーヤー・オブ・ザ・イヤーの栄誉を授かった。

 米欧対抗戦の「ライダーカップ」ではケプカの打球が顔面に当たってしまったギャラリー女性が右目を失明するという不幸な事故が起こり、ケプカ自身も大きなショックを受けた。だが、気持ちを切り替えてアジアへ渡り、韓国での勝利と世界一の王座を手に入れた。

 そんなケプカの姿勢や言動には、常に夢や目標へ向かって突き進んでいく強い精神力と行動力が見て取れる。その礎は何だろうかと考えたとき、思い当たるのは、彼の少年時代の実体験だ。

「15年前、『全英オープン』観戦に連れて行ってもらった。たくさんのギャラリーが一斉にタイガー・ウッズに送る地響きがするような拍手と歓声が、あのとき僕の中に沁み込み、忘れられなくなった」

 ウッズ(42)のようなプロゴルファーになりたい。ウッズのように大観衆を沸かせたい。その思いがケプカ少年を駆り立て、プロになってからもウッズを目指すことが「最大のモチベーションだった」とケプカは振り返った。

 今年の全米プロ最終日に最終組で回っていたケプカは、やや前方でプレーしていたウッズに大観衆が送っていた大きな拍手と歓声を聞きながら、15年前の全英オープンで聞いたウッズコールを思い出し、自身の幼少時代を想起していたという。

「あのとき憧れたタイガーとこの僕が、今、メジャーの最終日に優勝を競い合い、そして僕が勝ったことは、言葉にならないぐらい、信じられないぐらい、うれしくてたまらない」

 ケプカの心の中には、昔も今もウッズの存在がある。

「いつかは僕が」

「三つ子の魂百まで」という言葉があるように、幼少時代、少年時代に五感で感じ取ったものは、その人の胸の奥底まで浸透し、そのとき胸に誓ったことは、その人のその後の人生の夢や目標になることが多い。

 今年のマスターズを制したパトリック・リード(28)は、サンデー・レッドシャツに身を包んで勝利するウッズに憧れ、以後、リード自身もジュニアの大会の最終日に赤いシャツを着てプレーするようになった。高校・大学時代も、プロ転向して米ツアー選手になってからも、最終日のリードは常にレッドシャツ姿。

 今年のマスターズだけは契約先のナイキの意向に従って最終日に初めてピンクシャツ姿で戦ったら、グリーンジャケットを羽織ることになったという流れは偶然の皮肉だったが、ともあれ、リードの心の中にも、幼少時代からずっとウッズの存在があり続けてきた。

 今年の全英オープン覇者、フランチェスコ・モリナリ(35)は、子供のころ、1995年の全英オープンをテレビ観戦し、母国イタリアの英雄だったコンスタンチノ・ロッカが米国のジョン・デーリーに惜敗した姿を心に焼き付けたそうだ。

「いつかは僕がイタリア国旗を揚げてみせる」

 その誓いが、ついにモリナリを全英チャンプ、メジャーチャンプへと導いた。

「あんな選手になりたい」

 今年はあまり活躍がなかったが、メジャー通算3勝のジョーダン・スピース(25)も、子供のころの強烈な体験を「雷に打たれたような感じだった」と振り返る。

 7歳のとき、父親に連れられて地元テキサスで開催された米ツアーの「バイロン・ネルソン選手権」を観戦に行ったスピースは、あるホールのグリーン奥の芝の上に座っていた。すると、フィル・ミケルソンが打ったボールがグリーンをオーバーしてスピースの真横に止まった。

 近寄ってきたミケルソンは「打ち終わるまで、じっとしていられるかい?」とスピース少年に尋ね、「イエス!」と答えると、ミケルソンはスピース少年の間近からチップショットでピンに寄せ、見事にパーセーブ。次ホールへ行く前にスピース少年のところに再び戻ってきて、「動かず、じっとしていてくれて、ありがとう」とお礼を言ったそうだ。

「僕もあんな選手になりたいと、あのとき思った」

 ゴルフが上手いミケルソン。ファンを大切にするミケルソン。その姿がスピース少年の胸の中で自身の人生の目標になった。プロになり、メジャーチャンプになったスピースがファンをとても大切にしているのは、間違いなく、ミケルソンという最高のお手本を幼少時代に目にしたからである。

 そのミケルソンのお手本は、ファンやボランティア、大会関係者すべてを愛したアーノルド・パーマーだった。ただ、ミケルソンが「アーニーのような選手になりたい」と強く思う体験をしたのは、少年時代よりずっと遅いキャリアの初期だった。

 しかし、SNSが普及し、情報が溢れる現代は、一般の子供たちがトッププロを間近に見るチャンス、触れ合うチャンスは、ミケルソンの幼少期より増えているはず。いや、工夫すれば、もっともっと増やせるはずだ。

「きっと誰かに勇気をあげられる」

 子供のころの体験がモノを言うという意味では、トッププロとの触れ合いのみならず、ゴルフというゲームそのものとの出会いが後の人生を様変わりさせることだってある。

 米ツアー選手のブレンダン・スティール(35)は、「僕が生まれ育ったカリフォルニアの山の中にはゴルフ場が1つもなかった。練習場すらなかった」。それゆえ、子供のころのスティールはゴルフをまったく知らなかったのだが、離れた街で暮らしていた兄を訪ねた際、「兄の家の周りにはゴルフ場がたくさんあった」。

 スティール少年は兄の家でゴルフを知り、ゴルフをやりたくなった。だが、スティール少年の家の周囲に練習できる環境は皆無だった。

「どうしてもゴルフがしたいと言ったら、父が裏庭にネットを張ってくれた。シャベルで穴を掘り、買ってきた砂を入れてバンカーも作ってくれた。僕はそこでゴルフを覚えた」

 人口3500人の山の中には高校もなく、スティールは自宅から遠く離れた街の高校へ通うことになり、「その学校にゴルフ部があった。本物の練習場で初めて球を打った感動は今でも忘れられない」。

 その感動が、以後のスティールの原動力となり、プロゴルファーになり、今では米ツアー通算3勝のチャンピオンになっている。

 少年少女、子供たちがゴルフと出会うチャンスを作り、ゴルフに触れてもらう。そこから何かが始まり、子供たち自身が育っていく。

 トッププロとの出会いや触れ合いが得られれば、子供たちの胸の中には、さらに何かが生まれる。夢や希望、具体的な目標を抱いた子供たちは、さらに育っていく。

 幼少期のゴルフやゴルファーとの出会いは、人間形成や人生に大きな影響をもたらすからこそ、そんな出会いの場と機会を創出することこそが、大人に求められる役割である。

 必ずしもゴルファーとして成長するとは限らない。どんなフィールドに進むにせよ、ゴルフにまつわる体験を糧に、子供が素敵な大人に育ってくれるなら、それは「ゴルフ」にとって、うれしいことである。

 スティールの故郷の街の近くに「低所得者にゴルフ環境を提供するチャリティ団体」があり、今、スティールはその団体のアンバサダーを務めている。父親の手作りの疑似ゴルフ場から出発し、米ツアー選手になった自身の体験談は、「きっと誰かに勇気をあげられる。そのためにも、もっと優勝して語りたい」と彼は言う。

「ゴルフ」と「三つ子の魂」は、そうやって活用し、子供たちの育成や社会全体にもっと役立てることができるのではないか。

 世界ナンバー1に輝いたケプカを眺めていたら、そんな希望の絵がどんどん広がり、もっと広げたいという衝動に駆られている。

舩越園子
在米ゴルフジャーナリスト。1993年に渡米し、米ツアー選手や関係者たちと直に接しながらの取材を重ねてきた唯一の日本人ゴルフジャーナリスト。長年の取材実績と独特の表現力で、ユニークなアングルから米国ゴルフの本質を語る。ツアー選手たちからの信頼も厚く、人間模様や心情から選手像を浮かび上がらせる人物の取材、独特の表現方法に定評がある。『 がんと命とセックスと医者』(幻冬舎ルネッサンス)、『タイガー・ウッズの不可能を可能にする「5ステップ・ドリル.』(講談社)、『転身!―デパガからゴルフジャーナリストへ』(文芸社)、『ペイン!―20世紀最後のプロゴルファー』(ゴルフダイジェスト社)、『ザ・タイガーマジック』(同)、『ザ タイガー・ウッズ ウェイ』(同)など著書多数。

Foresight 2018年10月26日掲載

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