頭突き事件、いもジュリー事件…ライブ中止「沢田研二」は今も昔も“お騒がせの人”

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駅員や一般男性に“暴行”を働いた過去も

 沢田研二(70)の公演中止問題が、広範な議論を呼んでいる。改めておさらいをしておくと、沢田は70歳の古希を祝う66公演の全国ツアーを実施中で、10月17日は、さいたまスーパーアリーナでの開演が予定されていた。

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 17日の午後5時から始まるはずだったのだが、午後4時ごろに突然、中止がアナウンスされた。この異常事態を多くのメディアが翌18日の朝刊までに報道。沢田は同日、取材に応じ「観客が9000人と聞いていたが、実際は7000人だったので中止を決めた」などと説明した上で「申し訳ありませんでした」と謝罪した。

 これに対するSNSなどの反応は、皆さんもご存じだろう。要約すると、「勝手な中止は7000人のお客さんに失礼」という批判が圧倒的多数を占めた。

 だが、筋金入りの沢田研二=ジュリーファンや、50代以上のオールドファンは、「もともと沢田研二って、そんな人だよ」と涼しい顔なのだ。それでは、これまでに沢田がどんな騒動を引き起こしてきたか、振り返ってみることにしよう。

 沢田の歴史上でも双璧と思われるのは、1975年の「頭突き事件」と翌76年の「いもジュリー事件」だろう。

 67年にザ・タイガースのボーカルとして沢田はデビューする。バンドは71年に解散し、その後、ソロに転じた。最初は苦戦するが、73年の「危険なふたり」がオリコン1位を獲得。75年6月にはザ・ピーナッツの伊藤エミ(1941〜2012)と結婚する。公私共に充実した頃のトラブルだった。それでは朝日新聞から引用させていただこう。

 最初は「沢田研二、駅員に乱暴 東京駅『ファンばかに』と頭突き 書類送検へ」(1975年12月18日朝刊)だ。尚、引用の表記については、漢数字を洋数字にするなど、全てデイリー新潮のスタイルに改めた。

《「ジュリー」の相性で幅広いファンを持つ人気歌手の沢田研二(27)(編集部註:住所省略)が今月初め、関西公演の帰途途中、東京駅新幹線ホーム上で、出迎えの女性ファンの行動をなじった同駅職員に暴行を加えたことが、17日、一般乗客などからの訴えで明るみに出た。(中略)
 7日午後9時40分ごろ、東京駅19番線に博多発の「ひかり116A」列車が到着した。たまたま、11号車(グリーン)から名古屋での公演を終え、降車しようとした歌手のジュリーを、4、50人の女性ファンが出迎えていた。降車デッキ付近で車内点検をするため、乗客の降りるのを待っていた同駅プラットホーム掛、●●●●●(編集部註:原文実名)さん(30)が、ため息交じりに「キャーキャー騒ぐだけのミーハーはくだらないなぁ」とつぶやいた。
 これをすぐ近くで聞きつけたジュリーが、「くだらないとは何事だ」と●●さんの両肩をつかんで詰め寄った。●●さんは「私の暴言だった」と2、3度あやまったが聞きいれず、頭突きを1回くらわした、という。
 ●●さんが鼻血を流しているのを見た同僚が、ジュリーをつかまえ、同駅丸の内口の鉄道公安室に同行した》

 起訴は免れれたのだが、翌年の76年5月に沢田は再び暴行事件を起こす。「沢田研二がまた乱暴 からかわれ乗客ポカリ 新幹線車内」(76年5月22日朝刊)をご覧いただこう。

《昨年12月、東京駅で暴力事件を起こした歌手の沢田研二(27)(編集部註:住所省略)が、さる16日、新幹線車内で自分をからかった乗客を殴っていたことがわかり、東京・丸の内署は近く沢田を任意で呼び、事情を聴く。(中略)
 沢田は大阪での公演を終わって新幹線「ひかり118号」のグリーン車にバンドマンら7人といっしょに乗っていたが、●●●●(23)(編集部註:被害者の名前、職業、住所を省略)が食堂車に行くために通りかかった。
 沢田を見つけた●●さんが「いもジュリー(沢田の愛称)」とからかって通り過ぎたため、沢田は食堂車から帰ってくる●●さんを待ち受け、「さっきなんと言った」と、とがめた。●●さんが「何も言ってない」と言うと、沢田は●●さんの身体をつかんだため、双方でつかみ合いとなり、沢田は右手で●●さんの顔面を1回なぐりつけた》

 こちらは被害者が示談より女性週刊誌への情報提供を優先するなど様々な要素が重なり、沢田に対する書類送検は行われたものの「起訴猶予以下が相当」という意見書も一緒に送付された。

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