NHK「みんなで筋肉体操」で検索急上昇 “北欧庭師”の村雨辰剛って何者?

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「徒弟制度で修業する」という夢を実現

 村雨の夢は「日本の徒弟制度で修行すること」だった。

「徒弟制度の中で働けるのなら、それこそ和食の世界でも、宮大工でも何でもいいと思っていたんです。すると23歳の時に造園業のアルバイト募集の広告を見つけ、応募しました」

 幸運にも、この“親方”は、欧米で和風庭園の設計も担当し、英語は堪能という人物。共に喜んで勤務が始まるも、既に“弟子”の枠は満杯だった。そのために愛知県の小さな造園会社に転職を果たす。ここで“本当の親方”に出逢う。

「嬉しかったですね、僕にも“親方”と呼べる人ができたんだと感激しました。夢中で働きました。休みも収入も少ない。でも、働けているだけで嬉しかった。ただ、経験を積むにつれ、別の不満が高じました。それは日本人が和風庭園を大切にしないことです」

 造園業の世界に飛び込み、庭師という目標ができた。ところが現在、造園業で最も多い仕事は「日本庭園を潰し、西洋風の庭に変える」ことだという。

「日本庭園の素晴らしさを知ってほしい。日本庭園を大切にしてほしい。そういう想いからSNSを始めると、テレビ局の方々が興味を持ってくれて、出演依頼をいただきました。喜んで出演していると、芸能事務所から声をかけられた。それでタレント活動も開始して、“二足のわらじ”を履くことを決めたんです」

 現在は、都内の大手造園会社にも勤務している。現場の責任者だ。次第に自分が“親方”に近づきつつある。だからこそ、周囲はタレント活動を心配する声も強いという。

「特に愛知の親方は、非常に心配しておられますね。私は帰化したので、今は日本国籍。日本名の『村雨辰剛(むらさめ・たつまさ)』は、親方の命名です。私はタレント活動が庭師の修行を妨げるとは考えません。むしろ経験がプラスになると思っています。知名度が増せば、日本庭園を大切にしてほしいという私のメッセージに、もっと耳を傾けてもらえるようになるはずです」

 庭師の修行はストイックにやっていく。逆にタレント活動では仕事を選ばないつもりだ。ただし「歌だけは勘弁してください」と笑う。

 最も愛する日本庭園は、愛知県西尾市に建つ華蔵寺。「小体で趣が豊かで、山の斜面を巧みに利用したところが素晴らしい」とプロの庭師として評する。吉良上野介で有名な吉良家の菩提寺だ。「だから浅野内匠頭より吉良上野介のほうが好きです」と悪戯っぽく笑う。

週刊新潮WEB取材班

2018年9月11日掲載

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