韓国戦敗戦「吉田輝星」の“881球問題”を検証 プロで「大成しない」不吉データ

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山本昌も野茂英雄も甲子園とは無縁

「権藤、権藤、雨、権藤」が流行語になった権藤博(79)は、プロ野球で現役だったのは僅か5年間に過ぎない。中日に61年から68年に在籍して通算82勝をあげた。

 この数字だけなら平凡だ。だが入団1年目の輝きは凄まじい。35勝19敗。奪三振310、防御率1.70。沢村賞と新人王をW受賞するという、とてつもないデビューを飾った。

 その後に苦労したのは、肩を消耗した結果なのは明らかだ。しかし権藤は、日刊ゲンダイに連載しているコラム「権藤博の『奔放主義』」で8月26日(電子版)、「金足農・吉田輝星の881球を『酷使』と簡単に否定はできない」と主張した。

《ひとりで投げ抜いた予選の地方大会も含めれば、この夏の球数は1517球に上る。議論になるのは当然だが(略)プロ野球のエースになるような選手は、この程度のことでは潰れない。私にできるのは、そう信じることだけである》

 権藤は逆説的に、ある種の祈りを込めて「そう信じることだけ」と記したのかもしれない。だが、今まで見てきた通り、少なくとも過去の記録は真逆の可能性を指している。

 14年にNPB史上最年長勝利投手記録(48歳4か月)を達成した山本昌(53)は日大藤沢のエースだったが、春も夏も甲子園の出場記録はない。

 メジャーリーグで日本人投手としては最多の123勝をあげた野茂英雄(50)は、大阪の成城工業(現・成城)のエース。85年には大阪予選で完全試合を達成している。しかし、それほどの投手であっても、最高位は大阪予選でのベスト16だ。

 いや、投手OBとして吉田に応援メッセージを送った東尾と権藤でさえも、実は高校時代、夏の甲子園のマウンドで投げた経験は存在しないのだ。

 全てのデータは、残酷なほど吉田への逆風を示している。だが英語には「例外のないルールはない」という有名な格言がある。吉田輝星が“例外の代表例”になる可能性は、もちろん0%ではないはずだ。

週刊新潮WEB取材班

2018年9月6日掲載

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