「御嶽海」ママのフィリピンパブに行ってみた 尽きない愛息エピソード

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勝っても負けても礼

「もともと私は、フィリピンのガールズバンドのドラムでした。来日して3カ月間、名古屋で活動していたんだけど、そのときにパパと出会ったんです。20歳で結婚して、3年後にヒーくんが生まれました」

 誕生日は12月25日。

「すごい親孝行なんですよ。だって、フィリピンではクリスマスに生まれる子のお産の費用はぜんぶタダ。キリスト様と一緒だからね」

 それからしばらく、フィリピンで育児を続けた。

「向こうではジャスティンって呼んでたね。3歳ごろから日本で育てはじめて、ヒーくんの名前をつけました。相撲は小学1年から。相撲は勝っても負けてもしっかり礼をするでしょ。それが素敵だなって、礼儀が身につけばいいなって思ってやらせたんですが、どんどん強くなっていったね」

 世話になった人に手書きの礼状を出す習慣もついた。そんなヒーくんは各世代の全国大会で好成績を収め、

「東洋大学からプロになりました。この大学時代にカラオケを憶えたらしくて、歌謡曲が好きになっちゃった。名古屋場所前に突然、帰ってきたときも、小金沢昇司の『ありがとう…感謝』を歌ってました。あ、歌は歌謡曲だけど、言葉はタガログ語と日本語、英語も少し喋れる。ヒーくんが私と話すときはいつもタガログ語。勉強熱心だよ」

 いつまでも尽きることのない、愛息の話。

「私が東京に行くと、電車が分からないから迎えに来てくれるの。優しいでしょ。それで一緒に歩くんだけど、東京に慣れたのかな、歩くのが速くなった」

 木曾の町ではいま、「おはよう」ではなく、御嶽海が「勝ったね」「負けたね」が挨拶になっているという。

 そんな古里から、母は息子を想い、変わらないでほしいと願うのである。

週刊新潮 2018年8月16・23日号掲載

ワイド特集「真夏の夜の夢」より

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