韓国通の女優「黒田福美」さんが語る、“慰霊碑建設”を妨害した反日団体の正体

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 太平洋戦争で特攻隊員として死んでいった韓国人のため、故郷に慰霊の碑を建てる――そう決意した女優・黒田福美さん(62)。慰霊碑建立まで17年、その挙げ句撤去された顛末を書いた『それでも、私はあきらめない』(ワック文庫)が出版された。なぜ彼女はそこまで韓国にこだわるのか、かの国の反日活動をどう思うのかを聞いた。

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 ことの発端は1991年7月末、夢に現れた、渚に立つ日に焼けた青年の言葉だった。

「僕はね、ここで死んだんですよ。自衛隊(編集部註:原文では傍点)の飛行機乗りだったんです。天皇陛下の御為に死んだことに悔いはないのですがね、ただ一つ残念なことがあるんです。それはね、僕は朝鮮人だというのに、日本人として『日本の名前』で死んだことなんですよ」

 夢で聞いたこの言葉をきっかけに黒田は、1945年5月11日沖縄洋上で戦死した特攻隊員・光山文博少尉こと卓庚鉉(タクキョンヒョン[享年24])の慰霊碑を韓国に建立しようと奔走した。光山少尉は出撃前夜、特攻隊員の母として知られる鳥濱トメさん(1902~1992年)を前に朝鮮の民謡「アリラン」を歌ったことでも知られる。高倉健(1931~2014年)主演の映画「ホタル」(2001年・東映)に描かれる朝鮮人特攻隊員のモデルでもある。

 もちろんツッコミどころはある。夢の中で、青年は「自衛隊員」と自己紹介しているし、名乗っているわけでもない。なぜそれが特攻隊の光山氏となるのか。たとえそれが正しかったとしても、なぜ彼女がそこまでしなければならないのか。その詳細は著書に譲るとして、所詮は夢だったはずである――。

黒田福美インタビュー

黒田:そう、夢なんですよ。でもね、私は金縛りすらあったこともなく、霊感なんて全然ないんです。それだけに、あの夢をそのままにしておくことはできませんでした。あの世からの遺言かと思ったら、捨て置くことはできなかったんです。

――ネットで“黒田福美”と検索すると、“帰化”というキーワードが現れる。韓国にこだわるのはそういった意味もあるのだろうか。

黒田:まだあるんですか? そういうの。私は自分のこと検索しないのですが、かつて「2ちゃんねる」に書き込まれたものを見たことがあります。私の本名はユンさんで、家庭のこともつまびらかに書かれていましたね。「ホントかも……」と私が思うほどリアルでしたよ。確かにね、福美という垢抜けない名前は韓国にもあるし、関心のある方はそう思うのかもしれません。でもね、ウチのお爺ちゃんは江戸指物師の職人ですし、母は茨城の鉄道員の娘。もちろん私は帰化もしていないし、日本人です。

――彼女が韓国に関わりだしたのは1980年代にまで遡る。

黒田:もちろん韓流もK-POPもない頃です。それどころか、隣の国でありながら日本にはほとんど韓国の情報がなかった。でも国内には差別意識だけはあったんです。それが疑問で韓国を訪ねたり、住んだり、調べるようになったんです。嫌いになってもいいけど知ってからと思って。ガイド本も出版するようになり、“韓国通の女優”としてコメンテーターやレポーターまでするようになったんです。コメンテーターをやっている頃は、番組のプロデューサーから「黒田さん、日本人だということを表明して欲しい」ともいわれましたけど、差別の問題から入っていった私が「朝鮮人じゃないですよ」とわざわざ宣言するのもおかしいでしょ。あえて言ってこなかったというのも、在日説が流れる理由なんでしょうね。

――そんな彼女が、韓国人特攻隊員の慰霊碑建立に奔走したのだ。親族を探し、委任状をもらうために韓国へ渡り、日本で学んだ小・中学校、専門学校の学籍簿まで取り寄せて、調べ上げた。

黒田:私が調べる以前に、倉形桃子さんという方も彼の足跡を明らかにしようと、気象庁まで出かけて出撃時の天気まで調べてらした。そうした影響もあるのでしょうね、伝聞でなく自分で調べたかった。10歳ぐらいの時に日本に来た光山さんですが、「光山文博」のほかに「高田賢守」という名前も持っていたことが分かったんです。しかも、彼が高田を名乗ったのは10年ほどで、光山は5年ほどしかない。その短い期間しか名乗らなかった名前で亡くなったことに悔いが残っているのではないかと思うようになっていきました。

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