麻生大臣の「石破口撃」はフェイクかファクトか 石破茂氏の派閥に関する考え

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派閥否定論者なのか

 自民党総裁選を巡っての舌戦が激化している。安倍総理の強力な応援団の一人である麻生太郎財務大臣は、対立候補となる石破茂元幹事長について「派閥をやめようと言ったのは誰だ。言っていることと、やっていることが違う」と批判をしたという。

 しかし、そもそも石破氏は「派閥をやめよう」と言っていたのだろうか。総裁選出馬表明の直前に出版した新著『政策至上主義』では、石破氏の派閥に関する考えが丁寧に述べられている。一部を要約、引用しながらご紹介してみよう。

 まず、麻生氏のような意見についてはこう述べている。

「(自身の政策グループである)水月会をつくるにあたって、『石破は派閥否定論者だったはずじゃないか』といったご指摘をいただくこともありましたが、それはちょっと事実とは異なります。もともと私は決して派閥否定論者ではありません。そもそも田中派に育ててもらい、渡辺派で初当選したのですから」

 このように述べたうえで、自身と派閥とのかかわりを石破氏は説明する。もともと政治の世界に足を踏み入れた時に所属したのは田中派だった。政治家だった父親の葬儀を終えたあとに、田中角栄氏にあいさつに行ったところ「君が衆議院に出るんだ」と半ば命令に近い形で言われたことがきっかけだった。

 それまで勤めていた銀行を辞め、石破氏は木曜クラブ(田中派)の事務局員となる。そこは田中派の選対本部でもあった。ここで石破氏は田中派の選挙の戦い方を叩きこまれる。

「末端の私の仕事の一つは、応援弁士リストの作成でした。

 応援に出向く派閥の大物、幹部クラスの名前が左の列にずらり並んでいます。一番上が田中先生で、その下に金丸、竹下、橋本といった名前が続きます。右の列には各候補者の名前が並ぶ。つまり、誰がいつどこに行くかを表にしたものです。

 今ならパソコンでエクセルを使って作る類のものでしょうが、当時はそんなものはないので、手で書き込んでいくしかありません。

 田中派は選挙に強いと言われていたゆえんは、こうしたシステムの存在にありました。事務局がシステマチックに選挙に取り組むのです。

 応援といっても、ただ有名な政治家を投入するといった単純な発想には基づいていません。たとえば農政には強いけれども、建設関連の政策には弱い候補者がいるとします。その場合は建設省(当時)に強い幹部を送り込む。逆に建設省出身だが、農政には弱い候補者がいれば、農水省に強い幹部を送り込む。つまり応援弁士によって候補者の弱点を補うという考え方です。

 まだ今ほど情報網が発達していない時代でした。それでもかき集めた地元紙の選挙区情勢などをもとに分析をして対策を練っていくのです。そのための下調べの作業が、新入りの私の仕事でした。

 田中派のすごいのは、こうした作業を日常的に行なっていたということです。つまり選挙が近づいてから慌てて対策を練ったり、人を派遣したりしていたわけではない。その年の3月くらいからはすでに、いつどこで集会を開くか、どこに誰が行くか、といったことを決めて、選挙に備えていたのです。

 ここで資料作りからコピーまであらゆる下働きを経験しました。私の作った資料をもとにリストが作成され、さらにそれを田中派の秘書会で議論し、チェックして修正を行っていきます。この秘書会の中での序列は、仕えている議員の当選回数とは関係なく、能力と経験で決まります。いわば実力本位のブレーン組織が、戦略を細部まで決めていくわけです」

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