「だから死刑は必要だ」 無期懲役囚から廃止論者へのメッセージ

国内 社会 2018年8月10日掲載

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遺族の苦しみは一生続く

 刑罰の役割には、国が被害者・遺族に代わって、加害者に報復するという性質もありますが、これは被害者・遺族の被害感情の為だけにあるのではありません。社会秩序・正義の実現と回復の役割も担っているのです。

 犯罪の被害者となり、大切な家族を喪った遺族は、悲痛な叫びをあげています。

「どうして、あの子(あの人)が死ななければならないの」

「家族を返して」

「うちの子は、父親の顔を知りません。お父さんは、どこへ行ったの、と淋しそうに言います」

 遺族の叫びは一生続きます。理不尽な犯罪で殺された被害者に思いを馳せる時、「死刑は不要」とは考えられません。何の過失もない人を2人、3人、4人と冷酷に殺す加害者に、死刑以外の刑罰が考えられるでしょうか。

 刑罰の大原則である行為と量刑の均衡を考量しても、世の中には死刑を科すことでしか処断できない犯罪があるのです。現在の判例主義が反映された量刑では、軽過ぎると思います。軽過ぎる刑、一見すると人道的に思える刑は、そのまま社会防衛上の危険となり、皆さんがその危険性を負担しなければなりません。

「命を奪い、或は奪おうとする程安全を侵した場合、それは死に値する」

『法の精神』を著し、三権分立を提唱したモンテスキューはこう言いました。殺人という理不尽な被害に遭った被害者と遺族に対して、救済しよう、いくらかでも応報感情を満たしてやろうという刑罰がなければ、法の下での正義とは何なのか、ということになるでしょう。

 死刑を求刑され、免れた者達が、己の罪を省みることもなく日夜、明るい雰囲気となった刑務所で笑って過ごしていることが、正しいことなのでしょうか。死刑を科されたからこそ自らの死に目を向け、殺された被害者の立場に共感し、悪の汚辱に満ちた心を救う者がいるのです。

 死刑廃止派の人は、亡くなった被害者は加害者の死を望んでいないと言いますが、本当にそうだと言い切れるでしょうか。私は、唐突に、そして凄惨に人生を断たれた被害者の多くは、加害者の死を望むと信じています。加害者の死によって被害者が生き返ることはありませんが、大半の遺族は、「心に一区切りがついた」と語ります。これで墓前に報告できて、ホッとしたとも言います。

 死刑廃止派の人が使うレトリックには、いつも、被害者・遺族の視点が抜けている気がしてなりません。全体から比べれば僅かしかいない、加害者を赦している遺族のケースを普遍的であるかのように挙げています。

 被害者が、加害者の死を望むかどうかについては、いずれも推測でしかありません。ブラック・ジョークではなく、仮に自分が利得や性の欲望の為に殺害されたなら、加害者に対して死を望むかどうか、生前に希望を申告しておいたらどうでしょうか。裁判では、当然、それを被害者の意見として参考にするのです。殺害方法・動機によっては、法の正義を満たす為に、遺族の意志にかかわらず、見合った刑罰を科さなくてはなりません。その為にも死刑という刑罰は不可欠です。

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