「あざとい」吉岡里帆が学ぶべき「闇が深い」女子アナの処世術

エンタメ2018年8月8日掲載

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「闇が深い」はいつから褒め言葉になったのか。というか、あざとさの免罪符となったのか。TBSアナウンサー・宇垣美里と元TBSアナウンサーの田中みな実を見て、ふと思う。小動物のように愛らしい容姿に、愛嬌たっぷりのしぐさ。男性タレントに対するこなれたあしらい方。言わば男性ウケの良さを最大限の売りにする、ザ・王道の女子アナたち。当然女性たちは、「あざとい」「ぶりっこ」とそっぽを向いた。しかし当の本人たちがすごいのは、「闇深さ」という一見女子アナらしからぬ武器を携え、女性ウケという難攻不落の城にも殴り込みをかけ始めたことである。

 宇垣はストレスフルな局面に立たされた時、自身をマイメロディというキャラクターだと思うことでやり過ごすというコラム「マイメロ論」で話題になった。田中は「ぶりっこキャラは嫌だったが職業人としての責任を全うするためにやっていた」「誰も信用ができない、だから友達もいない」と自身のダークな一面を語る。いつも明るく笑顔で、サービス精神たっぷりのかわいい(だけの)女子アナ、という世間のイメージの逆張り。しかしそんな破れかぶれのような一面を見せたことで、かえって好感度は上がった。特に彼女たちを「あざとい」と忌み嫌っていた女性たちが、意外と闇深いところに親しみを覚えた、と言い出したのである。

 賢い彼女たちは、その一筋の光明にいち早く気づいたに違いない。気づけば闇深さ語りをしながら、ドラマやグラビア、芸能人との熱愛に至るまで、どんどんと陣地を広げてきている。もちろん「私ごとき一介のアナウンサーが、とは思ったのですが」と必要以上に謙遜し、同性の不興を買わない配慮も忘れない。

 しかし、である。本当に闇深い女性であれば、そもそもミスコンに出てキー局の女子アナになろうと思わないだろう。不特定多数の人間に自分の評価を許す場に身を置くことは、ネガティブな意見に出会う確率も高くなるからだ。同じ理由で、自分の本業以外にも極力手を出さないはずだ。失敗した時に、いたたまれなくなるのは明らかだからである。

 そう思ってひらめいた。二人とも闇が深いのではなく、欲が深いだけか、と。身の丈に合わぬと知りつつも、もっともっとと手を伸ばさずにはいられないという欲深い女たち。とはいえ、同性の、あるいは世間の目をあざむくかりそめの闇深さという武器を手に、女子アナ2人は女性ウケ最底辺からの下克上に王手をかけたのである。

吉岡里帆は、いつ「あざとい」の呪いを解けるのか

 そこで「あざとい」女・オブ・ザ・イヤーの吉岡里帆である。確かな演技力と、かわいらしいルックスで瞬く間に人気が出たのと反比例するかのように、女性を中心に「あざとい感じがして嫌い」との声をよく聞くようになった。先の女子アナたちと同様、男性ウケは絶大で、「吉岡里帆を嫌いっていう女はブスのひがみ」という反論をされがちなところも、女性たちの反発に拍車をかけたと思われる。メディアに出るたび「あざとい」と言われ、主演が決まれば「脇役で輝くタイプであり、主役の器ではない」と批評される。そんな世間の呪いに耐え忍ぶかのように、吉岡は逆境でも健気に頑張るヒロインばかりを熱演している。
 
 主演中のフジテレビ「健康で文化的な最低限度の生活」では、常に困り眉で走り回る。かと思えば、番宣では口をとがらせながら早口でタイトルコールをする。たまに挟まれる、ちびまる子ちゃんに扮したCM。どれも一生懸命で、自分の可愛さに気づいてなくて、ちょっと前のめりな女の子。確かにひと昔前なら、ひたむきでまっすぐな不器用さは、あざといイメージをぬぐうのに十分だったに違いない。だが、先の女子アナたちを見よ。毒を制することができるのはしょせん毒。あざといイメージを中和することができるのは闇深さという時代なのである。かつて吉岡が葛藤したと言われるグラビアの仕事を、嬉々として受ける女子アナたちが掘り当てたライフハックを、素直に使ってしまえばよいのだ。
 
 可愛らしい容姿に似合わず、実はハングリーでストイックな努力家だと吉岡は自他ともに認めている。それは上述の女子アナたちと全く同じだ。だからこそ伝えたい。自分の欲深い本心を冷静に見つめながら、偽りの闇深さを見せつけて芸能界をのしあがれと。そんな真のあざとさをもった吉岡里帆を見てみたいと思う。その時初めて、言われなき「あざとさ」の呪いは解けるのではないだろうか。まったくもって余計なお世話かもしれないが。

(冨士海ネコ)