高橋真麻ズブ濡れ伝説も生んだ「隅田川花火大会」独占中継「テレ東」の舞台裏

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スタッフの記憶にも残る第36回大会

小高P:用意してなかったんですよ、他の番組なんて。他局さんではかつて、プロ野球中継で試合が早く終わっちゃうと、“珍プレー好プレー”とかやったじゃないですか。ウチはそういうスタンスではないんです。

澤井CP:朝の段階で中止ということなら、別の番組を流しますけど、一旦やると決めたら、やる! あの日、天気予報では「不安定」と言っていたんですけど、晴れてたし、暑いなあと。

小高P:僕はあの時、第2会場の屋形船にいたんです。そこは19時半から上がる花火を撮る所なんです。確か、舞の海さん(50)とアサヒビールのイメージガールの方がいたと思うんですけど、当時はまだドローンと呼ばずにマルチコプターと呼んでいたラジコンを使って水面を這うようにして撮ろうとしていたんです。

澤井CP:巨額を投じてね! 「最新映像でお送りします」なんて言ってさ。

水野AP:あの時は19時から第1会場の映像で、「この後は第2会場からお送りします」と言って、CMに入ったんです。だけどCM明けたら、明らかに雰囲気が変わっていて、映像的にも花火が斜めに上がるようになっていった。

澤井CP:僕らがいた第1会場には東向きの突風が吹いて、花火の燃えカスが降ってくるようになってね、やべえな、やべえなと思っていたら、急にザアーッと来た。

小高P:(ドローンは)飛ばす前に終わりました。

澤井CP:まず出演者の安全を考えました。オンエアでは、高橋英樹さんはじめゲストのみなさんがビニール傘をさすという映像となり、準備不足を露呈しました。

水野AP:そもそも花火中継に雨が降るという想定をしていないんです。高橋英樹さんたちがいるセットの屋根を伸ばしてしまうと、真上に上がる花火も見られなくなってしまう。それで短くした結果、傘を差すことになってしまったんです。慌ててカンペを書いても、水性ペンだったので、すぐに流れてしまって……。以来、油性ペンに変えました。

澤井CP:豪雨の中、流すVTRもなければ、避難する場所もない……。そんな中、我々が言うのも何だけど、(高橋)真麻は株を上げたんです。彼女はフジテレビを退社してあの番組がフリーの初仕事でした。ズブ濡れになりながらも“根性実況”なんていわれてね。いまだに他局から、あの映像を貸してくれといわれますよ。

水野AP:翌年からは雨で中止の時にも対応できるVTRを作ったり、雨が降っても放送できる場所を想定したり、過去の面白映像的なものも用意して、出演者の方たちには許可も取ってはいるのですが、幸いにして今のところ中止がないので使っていません。

小高P:生放送の醍醐味とも言われましたけど、結果的には話題になりましたからね。

澤井CP:ゲリラ豪雨の前年(12年)は視聴率7%台。で、豪雨で途中で中止になった時が9.4%。次の年は11%に上がったんです。

小高P:「また何か起きるんじゃねえか」って思った方が多いんでしょうね。ゲリラ豪雨の時は平均で9.4%。雨の降り始めくらいからメキメキ上がり始めて、真麻さんが実況して、過去の映像流し始めて少し経つと、下がっていったという感じでしょう。

テレ東伝説の始まり

 花火中継で最大の難関は、そもそも第1回の放送だったと言うのは古参の放送記者だ。

「隅田川花火大会が17年ぶりに帰ってくると都民が湧き、開催まであとひと月と迫った頃、花火より先に打ち上がったのがテレ東(当時は東京12チャンネル)の独占中継問題でした」

 当時の新聞を見てみると、「隅田川の花火めぐって火花 12チャンネル独占にNHK反発〉と題した朝日新聞は、〈十七年ぶりに復活が決まった東京・墨田川の花火――夏の夜空にパッと咲くその光景の実況中継が、民放テレビ局一社に独占されることになり、出遅れた形のNHKの猛反発もあって、せっかくの花火大会は波乱含みとなってきた〉(朝日新聞:78年6月24日付)

 NHKの猛反発については読売新聞に詳しい。

〈……(六月)二十三日の美濃部都知事の定例会見の席でNHK側から「都が運営費を負担する行事に、こんなことがあってよいのか」などの疑問が出された。大会運営費八千五百万円のうち五千万円を都で負担する事情もあって、知事は「トラブルがなく、できるだけ多くの都民が楽しめるように願っている。これを否定する事態になっては困るので、事実関係を調査の上、実行委に再検討を申し入れる」と語った〉(読売新聞:78年6月24日付)

 そして隅田川花火大会実行委員会はこうコメントしている。

〈東京12チャンネルは去年夏ごろから花火打ち上げ計画について独自の立場で検討し、都や台東区、各町会長にもアプローチしてきた。実行委としてはできるなら全国ネットのテレビ局に放映して欲しかったが、同社しか申し込みがなかった。同社と独占契約を結んだのは、不足している運営費がどうしても必要だったからだ。都に「この契約は好ましくない」といわれても、実行委は民間団体であり、とやかくいわれる筋合いはなく、再考の余地もない。〉(前出・朝日新聞)

 さすが江戸っ子。運営費は大会を開催できるかどうかの最重要課題である。金も出さずに口だけ出すんじゃねえ、とでも言いたげだ。

 そして当のテレ東は、当時の編成部長のコメントとして、

〈他社のニュース取材を排除する考えはない。実際問題として空にカーテンをひき、ビルの屋上に垣根を築けるものではない〉(毎日新聞:78年6月24日付)

「業界では“空にカーテンは引けない”は名台詞として話題になりましたね。その後は、実行委員会も“都に回答の必要もない”と突っぱね、テレ東が独占中継を行うことになったんです。一説には第1回の司会に元NHKアナウンサーの宮田輝(1921〜1990)を起用したことも、NHKは気に入らなかったとも言われました」(前出・古参記者)

 果たして、第1回放送の視聴率は22.1%。同社の社史「東京12チャンネル15年史」には、〈裏番組すべてを圧倒する大成功を収めた〉と誇らしげに記されている。

「テレ東は、科学技術の専門チャンネルとして1964年に開局したのですが、うまくゆかずに73年から総合放送局として出直しました。しかし、時はオイルショックで大赤字に。76年からの経営再建の3ヶ年計画を策定して、その仕上げの年の番組企画のひとつがこの隅田川花火大会の生中継でした。地元に密着して、NHKですら突っぱねる信頼を得たおかげで成り立った番組です。以来40年、テレ東の独占生中継は続いているのです」(前出・古参記者)

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