記者たちが語る「オウム捜査」秘話 「麻原」はいかにして追い詰められたか

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上九一色村のぴり辛ウド

デスク: 強制捜査も最初のうちは、警察も相当、おっかなびっくりでやっていたね。特に薬品精製のプラントがある第7サティアンは、天井を這っているパイプからポトンと水溶液が垂れてきて、床にシュワーッと白い煙が立ち上ったりするんだって……。そのたびに「総員、退避ー」って、避難していたそうだ。

警視庁担当: ただ、少しすると当局は、末端信者はある意味、怒れば言うことを聞くってことがわかってきた。「あいつら、脅すとすぐ喋るんだー」って言ってる警察官もいましたね。

遊軍キャップ: サティアンの中はすさまじい臭いだったそうです。殺生が禁じられているから、巨大なゴキブリとねずみが沢山いて……。柱がつやつやに見えたと思ったら、ゴキブリが何匹もたかっていたとか……。

デスク: 殺生をしないっていうオウムのお陰で、地下鉄サリン事件の後、我々、新聞記者は殺人的スケジュールだったけどね。思い出すとぞっとするけど、毎朝5時にはハイヤーが迎えに来る。で、6時前には、情報源の警察官の自宅に朝駆けして、出勤前に少しでも捕まえて……。それから会社に行く。

遊軍キャップ: あの頃は、オウムがどうやってサリンを作ったかが焦点で、難解な薬品の名前が一杯出てきましたよね。夜、上九一色村の捜査からローテーションで帰ってくる捜査官を捕まえようと、午前1時までは粘ったし……。それから社に上がって打ち合わせですから、家に着くのは毎日午前3時ごろだったかな。

デスク: 機動隊員の家に夜回りしたら、上九一色村の山で取れたウドを薦められたこともあった。ゆがいてくれたんだけど、「上九一色村産だから、舌先がぴりっとするぞ。ぴりっと……」っていやな脅かし方をされてね……。

警視庁担当: あんまり家に帰らないもんだから、ある警視庁クラブの記者は、奥さんが怒って、地方の実家に帰っちゃった。少しだけ騒動が落ち着いた1カ月後に、奥さんを連れ戻そうとして1日だけ休みを取ったら、その日の夜にオウムの大幹部だった村井正大師が、暴漢に刺されて死亡。急に社に呼び戻されて、奥さんの説得にも失敗して、結局、離婚した悲劇のケースもありました。

現場カメラ: 毎日毎日、上九一色村で強制捜査を写していたカメラマンも悲惨でした。4月には大雨が何日も続いて、脚立を置いていた砂利道がいつの間か泥の川で、それでどこかの社のカメラマンのバッグが流されていった。

警視庁担当: そういえば当時、上九一色村は、携帯電話の電波の圏外で、公衆電話も1台しかない不便極まりないところでした。社への報告も一苦労だったからね。

現場カメラ: 何社かが共同で現場にNTTを呼んで、無理やり交渉して電柱から直接、5~6台の電話回線を引かせたんですよ。ただし、この電話は電話線から取り外しができないタイプだったので、カメラマンが夜、引き揚げる時には、ビニール袋に入れて、そこらの草むらの中に隠しておくんです。だから、真夜中に、人気のない道路脇の草むらで電話が鳴るという不気味なことになっていたんです。

マスクメロンの届け先

デスク: 結局、カメラマンは麻原が逮捕された5月16日まで、約2カ月、上九一色村に足止めされていたことになるね。

警視庁担当: 実は、強制捜査に入った当初から麻原が第6サティアンにいることを、警察では掴んでいました。

遊軍キャップ: そうだった。麻原の好物のマスクメロンが運び込まれていたし、オウムの使ってたコスモクリーナーっていう空気清浄機が誰もいないはずのスペースで回っていることが確認されていたから……。

警視庁担当: 逮捕までに時間が掛かったのは、先に麻原を逮捕してしまうと、逃亡している幹部信者たちに麻原奪還闘争という大義名分を与えてしまうためでした。だから、主だった幹部を捕まえるまでは見て見ぬふりで麻原を泳がせていたのです。

デスク: 假谷さんの拉致事件から麻原逮捕までは、新聞もテレビも雑誌もオウム一色。全マスコミが総力取材をやっていたからスクープもあったが、一方で誤報も多かった。

遊軍キャップ: 元旦スクープの読売新聞も、地下鉄サリンの犯人が小伝馬町の病院に入院しているとか、大間違いを1面で書いていた。

デスク: それはどこの社も同じで、横浜の異臭事件で毒ガスのホスゲンが使用されたと書いた新聞もあったし、地下鉄サリン事件の実行犯が30歳前後の女性だったと書いた新聞もあった。10年経って見てみるとたしかにミスだらけ。

遊軍キャップ: ただ10年経っても、見えてこないこともありますね。未だに解決に至っていない国松長官狙撃事件とか、まだ逃亡中の信者とか……。

警視庁担当: オウムの裁判を傍聴しても、ついに明らかにならず消化不良なのは、暴力団との関係でした。オウムはLSDや覚せい剤を自前でつくって、信者に投与していましたよね。あれだけ反社会的な団体がそれを裏ルートで販売していたとしても不思議はないのに……。実際、噂はいくらもあったのに、ついに明らかにならなかったです。

遊軍キャップ: 村井正大師が、山口組関係者に刺殺された事件も、背景はまるで見えてこなかったよね。10年経っても光の当たらない闇の部分が残されてしまった。

デスク: 上九一色村は市町村合併が決まった。おそらく日本で最も知名度の高い村だったんだろうけど、あと10年で、村の名前も忘れ去られちゃうのかね。

2005年4月7日号掲載

週刊新潮WEB取材班

2018年7月12日掲載

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