財務省の不祥事、麻生大臣の責任はどこにあるのか

国内2018年6月8日掲載

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 財務省の一連の不祥事に関連して、麻生太郎大臣の取るべき「責任」についての攻防、議論が続いている。

「他の人の大臣時代の事ならともかく、自身がトップに立っている時の不祥事である以上は、責任を取って辞めるべきだ」――これは野党に代表される批判派のロジック。

「悪いのは官僚で、麻生さんは被害者。部下の不始末で大臣のクビを切ることを認めれば官僚側のクーデターに悪用される可能性だってある」――これは麻生大臣を擁護する立場のロジック。

 メディアや野党から総攻撃に遭っている麻生大臣からすれば、「セクハラだろうが、文書改竄だろうが、俺が指示したことじゃねえよ」と言いたいところかもしれない。少なくとも国会答弁や記者会見での表情からは、そんな不満も垣間見える。

 大臣と官僚との関係とはどうあるべきなのか。

 歴史上の人物の名言を集めた磯田道史氏の著書『日本人の叡智』には、西園寺公望(さいおんじきんもち)元総理の興味深い言葉が紹介されている。磯田氏の解説とともに引用してみよう。

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「大臣に人を得ないかぎり、次官以下、どんなに人材を集めてみたところで、大したことは出来ツこないよ」(西園寺公望)。

 西園寺公望ほど、大臣の質ということに悩まされた政治家もあるまい。公家出身。幕末の動乱を生き抜き、フランスに留学。議会政治と自由の思想にめざめ帰国して自由民権の新聞を発行。その後、伊藤博文に誘われて政界入り。みずから2度、首相をつとめた。卓抜した政治眼をもち、晩年は「最後の元老」として、昭和天皇に誰を首相にするかの推薦を行い、事実上、首相を決める男となった。

 西園寺の政治眼を涵養(かんよう)したのは、幕末維新の「英雄」たち。少年期から維新に加わった西園寺は、彼らのすごみを知りつくしていた。1935(昭和10)年、米寿を祝われたとき、西園寺のもとに多くの昭和政治家が駆けつけたが、その顔ぶれをみて、西園寺は〈今にして思へば、木戸、大久保、伊藤、或(ある)いは加藤高明、やや落ちるが、原敬など、いずれもひとかどの人物だったが〉(『陶庵公清話』)と、つくづく人材の払底を嘆いた。その不安は的中。西園寺の死後、日本は無謀な対米戦争に突き進んだ。

 官僚が優秀なら大臣はぼんくらでも勤まる、という考えは危ういと西園寺はいう。

〈愚純、或いは邪悪な亭主に、どんないい女房がついていたからとて、決して家運が興(おこ)るわけに行かない〉のと同じで、〈大臣の欠点を次官に扶(たす)けさせる、といふ考え方〉はまずいというのである。

〈ほんとうのことを言へば、政治に明るい人が事務をとつてこそ、初めて事務らしい事務になる〉。

 政策細部に詳しくない大臣が事務を官僚に任せる政治を〈その根本精神からして、実は間違っている〉というのが、この老獪(ろうかい)な政治家の言葉である。

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 現状は、「亭主」が愚鈍なのか、「女房」が邪悪なのか、はたまた両方か。

デイリー新潮編集部