木村拓哉も草なぎ剛も“加入”していた「CHA-CHA」を知ってますか?

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萩本欽一と共に人気が低迷

【木村拓哉の場合】
・萩本欽一に「おいなり君」と呼ばれたことが嫌だった
・レッスンの方針にも、納得できない点があった
・芸能界を「なめていた」こともあり、顔を出さなくなった
・萩本欽一は、わざとレッスンを厳しくし、CHA-CHAに残るか、SMAPに戻るか試していた

【草なぎ剛の場合】
・非常に真面目にレッスンを受けていた
・木村拓哉の姿が消え、かなり動揺していた
・番組には出演したが、萩本欽一は草なぎに「(CHA-CHAは)汚れたやつらで作るから、あなたたちはスターになるから逃げなさい」とアドバイスした

 最後の「汚れたやつら」は、勝俣州和がTBSラジオ「たまむすび」(16年2月15日OA)で披露した逸話だ。決してウソではないのだろうが、自虐的な話に誇張している可能性はある。

 また「笑っていいとも!」(82〜14年/フジテレビ系列)で萩本欽一と草なぎ剛が共演した時、「SMAPに戻るようアドバイスされた」というエピソードが語られている。

 木村が抜けた8人が茶々隊として番組に出演するが、上記のように草なぎが脱退。さらに7人から須間一也と火野玉男が抜ける格好となり、勝俣州和、松原桃太郎、西尾拓美、木野正人、中村亘利の5人がCHA-CHAとして88年9月にシングルデビューを果たすことになる。

 しかし、これだけ紆余曲折があったアイドルグループにもかかわらず、番組のエンディングテーマとなった「Beginning」はオリコン最高順位5位、88年12月のセカンドシングル「いわゆるひとつの誤解デス」はオリコン最高順位2位とヒットを果たした。

 テレビの世界でも、「ビギニング!!チャチャ」や「CHA-CHAワールド」(共に日本テレビ系)などの冠番組も持っていた。同じ自虐の文脈だが、勝俣州和は「たまむすび」で、中居正広(45)から「僕もCHA-CHAみたいにカッコよくなりたい」と言われ、「君も僕みたいにいつかなれるよ」と肩を叩いて、励ましたとも振り返っている。

 だが90年代はアイドル受難の時代として知られる。それこそSMAPも91年9月に「Can't Stop!! -LOVING-」でデビューするが、セールスは厳しいものだった。

 SMAPは「夢がMORI MORI」(92〜95年/フジテレビ系列)でバラエティに挑戦し、人気浮上のきっかけを掴む。逆にスタートダッシュには成功したCHA-CHAは萩本欽一と共に人気が低迷していく。90年に木野が脱退した影響も小さくなく、92年1月の渋谷公会堂のコンサートで解散した。

 それから20年以上の歳月が流れ、メンバーも様々な活動を続けている。最初の表にまとめた通りだ。皆さん、各方面で活躍中のようである。

週刊新潮WEB取材班

2018年5月24日掲載

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