若い人は一度、「落ちこぼれ」を経験せよ 京大名誉教授からのアドバイス

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 ゴールデンウイークのあと、7月まで祭日がないことを憂鬱に思うのは自然な感情だろう。その程度ならば問題ないが、もう少し深刻な憂鬱を抱えてしまって、五月病になる人もいる。

 4月からの新学期には張り切っていた緊張の糸が、1カ月ほどで切れてしまい、学校に行く足が遠のいてしまう……そんな症状が大学生を襲うのもこの時期だ。

 もちろん、五月病なんかにはならないほうがいい。

 しかし、一方で、大学生のうちに何らかの「落ちこぼれ」体験をすべきだ、と語るのは、永田和宏・京都大学名誉教授だ。永田氏は細胞生物学者であると同時に、日本を代表する歌人でもある。

 永田氏は、中高まではある程度横並びの教育をする必要があるが、大学においては「落ちこぼれオーケー」だというのだ。その経験なくして、社会に出てゆくほうが怖い、と。

「社会人になってから、初めて落ちこぼれを経験して、ある意味あともどりの効かない状態で、追い詰められるというのは、精神的にもきわめて危険だ。

 落ちこぼれ体験は大学時代に持った方がいい、これは私の持論である」

 京大名誉教授にまでなった永田氏ですら、大学時代には落ちこぼれたことがあったという。新著『知の体力』から、永田氏の「落ちこぼれ論」を紹介しよう(以下、同書より引用)。

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三重苦に遭う

 私は大学は理学部に入り、物理学科に進んだ。高校では物理が好きで、数学も微分積分が好きだった。ニュートンの運動方程式と微積さえあれば、世界のすべては記述できるなどと豪語していた。京都大学には湯川秀樹先生が居られるということだけで、京大の理学部を受けたのである。それ以外は考えなかった。

 結構いい点数で入学したはずなのだが、3回生になってあっけなく物理から落ちこぼれてしまった。その原因を、私は三重苦と呼んでいるが、70年大学紛争で大学がロックアウトされ、1年間ほとんど講義もなかったこと、短歌という表現手段に出会い、それにのめり込んで、大学短歌会、同人誌、結社誌に同時に入会し、短歌漬けともいう生活になってしまったこと、おまけに恋人に出会い、その恋人が歌人であったことから、恋と歌がリンクしてしまい、こうなるともう物理どころではない。落ちこぼれも自然の成り行きであった。

 あんなに好きだったはずの積分も、虚数軸のまわりの積分などと、なにやら意味不明の積分をやらされる頃になって完全にお手上げ状態となった。当時、大学紛争の影響もあって、留年して5年間在籍するのは少しも珍しいものではなかったが、私も当然のように5年間を理学部で過ごした。大学院の入試にも不合格で、仕方なく就職を決めたのは、5回生の12月。もうすぐ卒業という時期であった。なんとも行き当たりばったりのでたらめな進路選択であるが、それでもなんとか企業の研究所に就職できたのは、折からの景気で、就職戦線が売り手市場であったためである。普通ならもっと悲惨なことになっていただろう。

 それでもアカデミアに残る道を断たれて、就職のため東京へ行くときには、ほんとうに都落ちという気分を実感した。挫折感に支配され、晴れて就職などという精神状態ではなく、何の希望もないままの上京であった。

安全をとるか、おもしろさをとるか

 結果論になるが、この落ちこぼれ体験は、私のその後の進路選択に大きな影響をもたらしたと思っている。落ちのびるようにして就職した企業の研究所であったが、そこで偶然のことからバイオという研究をやらされることになり、薬を開発するための基礎研究に従事することになった。そのなかで初めて研究、学問というもののおもしろさに目覚めたのである。その間の詳細は別に書いているので省略するが(『もうすぐ夏至だ』白水社)、とにかくサイエンスを本格的にやりたくなり、29歳の秋、思い切って企業を辞めたのである。大学に戻って研究者になると決心した。

 当時、もちろん結婚はしており、おまけに1歳と3歳の子どもがいた。大学に帰ると言っても給料があるわけではなく、無給の研究員として帰るのである。研究者の世界は、何年間か無給で励めば、そのあとは定職につけるといった保証のまったくない世界である。一般的な判断から言えば、無謀であり、世間知らず、無責任であるというほかはなかろう。

 しかし当時の私には、そして幸いなことに私の連れ合いにも、それほどの悲壮感はなかった。普通なら、そんな新たな生き方は魅力的だけれど、危険すぎるとして思いとどまる力が働くだろう。もちろん私もその不安を感じていなかったと言えば嘘になるが、研究をやりたいという衝迫がより強く私を動かしていた。

 生来の楽天気質ということもあるのだろうが、なんとかなるさといった開き直りには、いまから考えると、学生時代の落ちこぼれ体験がどこかに影を落としていたのかもしれない。たとえ一時的には落ちこぼれても、それを挽回する機会はかならずどこかでやってくる。

 何か人生の生き方の選択を迫られたとき、あるいはそれほど重大事でなくとも、自分の生活にかかわる、あるいは研究にかかわる選択をする機会が訪れたとき、〈安全なほうをとるか、おもしろいほうをとるか〉、どちらを優先するかは、その人間の生き方にとって、きわめて大きな意味を持つはずである。とくに進路選択にかかわる場合は、その後の人生をどうやり過ごすのかに直結する問題である。

 私は学生たちに、二つを選択する必要ができてきたときは、取り敢えずは〈おもしろいほう〉から選べと言い続けている。おもしろいほうから選べば、たいていはうまく行かなくて、別の選択を迫られることになるほうが多い。しかし、それで失敗しても終わりではない。たいていの場合は、選択の変更がやむなしとなったところで、遅すぎるということはない。

 しかし、最初から安全なほうを選んだ場合には、それで何かが変わるという可能性はきわめて低い。常に安全なほう、安全なほうと選び続けていく人生は、どんどんその人間の人生を小さなものにしていくだろう。それは、私には耐えがたく退屈なものに思えてしまうのである。これはまあ、気質の問題だから人それぞれでいいのだが、いったんは、自分の可能性にチャレンジしてみることは、一回しかない「自分だけの人生」を生きるうえで、大きな意味を持っていると、私は個人的に思っている。

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 大学生に限らず、今何らかの理由で落ちこぼれている人の中には、「これも人生のうえでは必要な良い経験だ」と思えば、少しは気が楽になる人もいるのではないか。

デイリー新潮編集部

2018年5月22日掲載

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