「体罰は正しい」で坂上忍と大激論!「戸塚ヨットスクール」校長が振り返る“死亡事件”

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「体罰」封印の偽善

 この事件後、新聞、テレビなどで空前の“戸塚バッシング”の嵐が吹き荒れた。とりわけワイドショーなどでは、戸塚ヨットスクールの騒動が報じられない日はなかった。ある国会議員が、「なぜ戸塚を逮捕しないのか」と愛知県警にねじ込む一幕すらあったという。そして、事件から半年後の58年6月、戸塚氏は傷害致死容疑で愛知県警に逮捕されたのである。

「突き付けられた逮捕状に“違法な体罰を行った”とあったので“違法というからには法律があるのだろう。その法律を見せてみろ”と警察官に言ったら、向こうが驚いてね。慌てて検察に相談したところ、“体罰”では逮捕できないと指導されたようで“暴行”に替えてきた。結局、私が“暴行”を“許可した”ということで逮捕したんだが、そんなことが可能なら暴力団などすぐに壊滅できるじゃないですか」

 黙秘を続ける戸塚氏に手を焼いた警察は、様々な働きかけを行ったという。

「調書を作るときに、“後から検察で否定すればいいから、ここでは認めてくれ”と言うんだね。検察は検察で、“ここで違っていても裁判で否定すればいい”なんて言う」

 それでも否認を貫く戸塚氏に対し、裁判所は、20回にも及ぶ保釈請求を退ける対応をとった。

「最初、警察は国選弁護士にしろと求めてきた。保釈請求却下の理由の一つに、証拠隠滅の恐れがあるという事柄があったので、“証拠が揃っているから逮捕したんだろう。その証拠を隠滅するとなると警察を襲わんといかんやろ”と言ってやったんです。警察は彼らの意に添わない証言をする元訓練生の職場に押しかけ、翻意させようとしたり、自分たちに都合の良い証言を行うよう、就職先の会社にプレッシャーをかけたりもしました」

 戸塚氏は捜査の舞台裏をこう明かす。勾留は3年1カ月に及び、懲役6年の実刑判決を言い渡された。

 61年の保釈後、戸塚氏は一時閉鎖していたヨットスクールを再開し、現在に至っている。猛烈なバッシングに晒されたにもかかわらず、相談に来る親や生徒は絶えることがなかった。

「最近は生徒が高齢化して、下手をすると40歳を超えて来る生徒もいる。今も主に両親が連れて来ますが、年齢が高い分、より陰湿に、よりひどくなっている。本当はね、情緒障害児なんか相手にしたくはない。付き合えば分かりますが、実に嫌な連中ですよ。でも、誰が彼らを受け容れてくれるんですか」

 戸塚氏にすれば、現在の教育における体罰論議の封印は、偽善以外の何物でもないという。

「私は終始、体罰は手段であって目的ではないと言ってきた。傷害致死と言うなら、私がやってきたことが教育ではないと証明しなければならない。そのためには正しい教育論を対峙させる必要がある。しかし、そんなものがあるくらいなら、教育の荒廃なんて起きる筈はないでしょう。私のヨットスクールに親たちが子供を連れて来る必要もなかったし、ましてや渦中にあってスクールが存続することもなかった筈です」

 多くの犠牲者を出していることに鑑みれば、戸塚ヨットスクールの指導法や体制に全く問題がなかったとは言えまい。もっとも、あれだけの批判に晒され、刑事訴追までされながら、その荒波を乗り越え、スクールが生き残ったことは驚異ではある。裏を返せば、それは、体罰が追放された学校の教育現場に、相変わらず歪みだけが残されたままとなっている事実の証左とも言えよう。

2016年8月23日号別冊「輝ける20世紀」探訪掲載

ワイド特集「『世紀の事件』の活断層」

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