集団農場で農民は再び奴隷になった

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 ソ連の農家集団化方式としては、いくつかのものがあったが、アルテリという方式のコルホーズ(集団農場)が最も多かった。

 アルテリでは、耕地と農業施設、機械、家畜、種子など、主要な生産手段と農具の主要部分は共同化されたが、家屋とその付属地(菜園)、およびそれに付随する家畜などについては、私有が認められていた。菜園でとれた作物は自家用にし、あるいは市場へ売ることができた。1933年までに全集団農場の96%がアルテリになった。

 コルホーズとは、「農民が生産手段をプールし、収穫を分配する協同組合組織」と説明されるのだが、その実態は、国家が農産物を強奪するための仕組みだった。国家出先機関であるMTC(機械・トラクター・ステーション)がアルテリと契約し、農業機械を提供する。収穫はまず国家に引き渡し、次にMTCに支払い、残りを農民世帯に分配した。こうして、農業総収穫の4~5割がほとんど無償で国家に提供された。

 コルホーズ員への分配は、労働の質と量に応じた作業日という単位で行われた。自主的組織というのがたてまえだが、実際には、ソフフォーズ(国営農場)の同じ職種の賃率表が規準とされた。

 1932年には国内パスポート制が導入され、農民たちは農奴と同じように、村や集団農場に縛り付けられた。

 1936年には農村世帯の90%が集団化された。ロシアの2500万の自営農家は、24万カ所の集団農場になった。

 マーティン・メイリアは、『ソヴィエトの悲劇』(草思社)で次のように言う。「1921年には都市部の外には及ばなかったボリシェヴィキのロシア征服は、ようやく完了した。国全体がついに占領された」、「1861年の農奴解放後100年もしないうちに、農民は党国家の奴隷にされてしまったのである」。

 集団農場では収穫物が農民の所有にならないから、労働意欲は起こらない。ノルマだけを果たしていれば賃金は支給される。だから、昨日蒔いた種が昨夜の風で飛ばされても、農民たちは再播種には応じない。

 それに加え、党の官僚ネットワークから派遣されたコルホーズ責任者が無知で怠慢であったため、多くの農場は不効率を極めた。トラクターは大規模に導入されたものの故障が多く、部品のスペアもなかった。こうして、農業生産量は大幅に減少した。

 他方で、自家菜園では、野菜、果樹、ジャガイモなどが作られ、酪農が行われた。1937年には、ソ連の食料全体の25%が、面積ではわずか5%の自家菜園の耕作地で生産されるようになった。

 つまり、こういうことだ。革命によって農民は自分の土地を得、農作物を売れるようになった。しかし、インフレで物々交換になり、やがて強制的な徴発が始まり、ついには暴力的な奪い合いになった(戦時共産主義)。ネップの時代には、マネーが復活して都市との商品取引がなされたが、1929年からの集団化によって農民は集団農場に監禁された。マネーのない経済とは、人々が奴隷として働かされる経済なのである。

 いや、奴隷のほうがマシかもしれない。奴隷労働さえ極楽と思えるほどの大惨劇が発生したのである。それが、「ホロドモール」と呼ばれる1932~1933年の「ウクライナ大飢饉」だ。

地獄の世界:ウクライナ大飢饉

 1931年、ヨシフ・スターリンは、ウクライナに収穫高の42%に当たる770万トンの供出を要求した。翌年も同じ数字が要求された。

 農民の70%がコルホーズで働いていたウクライナで、飢餓が始まった。

 自営地のトウモロコシを刈り取ったり、集団農場でタマネギを掘り出したりしただけで、10年の禁固刑が言い渡された。財産は没収され、家族は餓死した。銃殺刑も多く、ある法廷だけで1カ月の死刑判決が1500件にのぼった。

 ある村では、1人の女性を除いて全員が死亡したが、その女性は発狂していた。放置された死体はネズミが食い荒らしていた。

 飢餓の苦しみから解放するため、母親は子供の首を絞めた。なかには、発狂して子供を食った母親もいた。

 食料を求めて都市にやって来た農民は、道に倒れ、飢えて転がっているまま放置された。

 農民に医療を施すことを禁じる命令が、医師に出された。飢えた農民を党員と警察が駆り集め、列車で窪地に運んで、そのまま放置した。

 餓死者の総数については、未だ議論が続いている。ある説では、ウクライナの農業人口2500万人のうち、5分の1にあたる約500万人が死亡した。1000万人という説もある。

 これは、人類史上で最も悲惨な大虐殺の1つとされる。しかも、工業化のために外貨を獲得するという目的で、過大な農産物輸出をしたために引き起こされた人為的なものだ。そのため、「テロル飢餓」とも呼ばれる。サイモン・セバーグ・モンテフィオーリは、『スターリン 赤い皇帝と廷臣たち』(白水社)で言う。「この『でたらめな』飢餓は、そもそも銑鉄の精錬所を建設したり、トラクターを製造したりするための強引な資金調達を行わなければ、発生しなかった悲劇である」。

 しかし、これに続く1936~1938年の「大粛清」によって関係者のほとんどが処刑されてしまったため、この悲劇は、長期にわたって闇に葬られていた。

野口悠紀雄
1940年東京生まれ。東京大学工学部卒業後、大蔵省入省。1972年エール大学Ph.D.(経済学博士号)取得。一橋大学教授、東京大学教授などを経て、現在、早稲田大学ファイナンス総合研究所顧問、一橋大学名誉教授。専攻はファイナンス理論。1992年に『バブルの経済学』(日本経済新聞社)で吉野作造賞。ミリオンセラーとなった『「超」整理法』(中公新書)ほか『戦後日本経済史』(新潮社)、『数字は武器になる』(同)、『ブロックチェーン革命』(日本経済新聞社)など著書多数。公式ホームページ『野口悠紀雄Online』【http://www.noguchi.co.jp

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