センター試験「900点満点」高校生はあの名門校生徒

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日比谷高校の歩み

 さて、日比谷高校は昨年45人、一昨年は53人の東大合格者を出した、全国の公立校のなかでも抜きんでた進学校だが、ここまでの道は平坦ではなかった。

 その歴史は戦前の東京府第一中学、いわゆる府立一中に遡るが、当時の卒業生は、たとえば文壇なら夏目漱石、尾崎紅葉、幸田露伴と、さながら文学史。戦後も、1964年の193人を筆頭に毎年200人近くが東大に合格する、全国随一の名門進学校だった。

「ところが、一部の進学校に優秀な生徒が集まる“不平等”を問題にした東京都は、67年に学校群制を導入します。受験生は複数の学校を組み合わせた学校群を受験し、合格者を成績によって群内の学校に均等配分する制度で、特定の学校を受験できなくなりました。結果、日比谷の進学実績は急落し、東大合格者も90年から04年まで一桁が続きました」(教育ジャーナリスト)

 改革は、当時の石原慎太郎都知事の鶴の一声で始まった。精神科医で受験に詳しい和田秀樹氏の話。

「僕が受験生だった80年代前半は、日比谷高校から現役で東大に入る生徒はゼロでした。学校群制の導入で優秀な子が都立を避け、東大合格校は私立ばかりになって、お金持ちしか通えなくなったのです。そんな状況に異を唱えたのが、神奈川の名門公立、湘南高校出身の石原さんでした」

 すでに94年、都立高校は単独選抜制に戻ってはいたが、石原氏の肝煎りで2001年に、日比谷などが進学指導重点校に指定され、各校独自の入試問題も導入。03年に学区制が廃止されてから、進学実績は再び上向いていった。加えて、

「08年のリーマンショックの影響で、私立の中高一貫校の受験者が2割ほど減った。一方、新たにできて学費が安い都立中高一貫校を受ける流れ、そして最初から高校受験を狙い、トップ校の日比谷を受ける、という流れもできました」

 森上教育研究所の森上展安代表はそう語る。

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