小学校「8万円制服」問題が示す学校の闇――古谷経衡氏が斬る「極論の温床としての学校」

社会2018年2月16日掲載

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8万円制服の波紋

 銀座にある泰明小学校の制服が高額すぎる件が、物議を醸している。賛否両論というよりは、批判的な意見が圧倒的に多いようだ。「見た目が9割」なんだし、一流の制服を――という校長の気持ちもわからなくはないが、それにしても一式8万円とは非常識だ、極端に過ぎる、というのが大方の感想だろう。

 なぜ校長は、極端な方向に突っ走ってしまったのか。

 そもそも教育現場には、極論を生む性質がある、と見るのは古谷経衡氏だ。新著『日本を蝕む「極論」の正体』の中で、古谷氏は、おかしな極論は「外部から監視や点検がなく、競争のない閉鎖的な空間」から生れる、という説を述べ、中でも日本の小・中・高の教育現場が代表例にあたる、としている(以下、引用は同書より)。

 たしかに「閉鎖的」なのは間違いない。防犯上の観点もあり、学校は以前よりも外部から閉ざされた場となった。さらに「クラス」もまた密室的な構造をはらんでいる。クラスの中の出来事は、担任や生徒以外にはなかなかうかがいしれない。制度上は教育委員会などが監視、点検できるにしても、恒常的にそういうことは行われない。

組体操という極論

 こうした閉鎖的空間から生まれた極論の産物として、古谷氏が挙げているのが「組体操」と「2分の1成人式」だ。

 前者は比較的有名だろう。子供たちが人間ピラミッドを作るのだ。全員団結して、ひとつのイベントを成功させる……といえば聞こえはいいが、危険度は高い。

「当たり前のことだが、訓練の最中や本番中、事故が続出する。膨大な重さを支えきれなくなった生徒がバランスを崩せば、たちまち人間ピラミッドは崩壊する。当然、怪我をする可能性は高い。

 最悪のケースでは、頂上からの落下や、骨折、頭蓋骨損傷などにより、重い後遺症に苦しむ生徒もいるという。この組体操の危険性は、名古屋大学大学院准教授の内田良が、Yahoo!ニュース等で盛んに指摘するまで、ほとんどといってよいほど注目されてこなかった。

 世論が組体操に無関心だったからではなく、学校空間が外部からの監視を受けず、物理的にも閉鎖的だったため、学校の内部でそんな危険極まりない『教育』と称したマスゲームが子供たちに強制されていることなど、多くの人々が知らなかったし、当然メディアのニュース・レーダーにも触れえなかった、というのが真相なのである」

「2分の1成人式」という奇習

 組体操の危険性はかなり認識されるようになったが、もう一つの「2分の1成人式」のほうは、実際に子供を学校に通わせている人以外にはほぼ知られていない「奇習」だ。これは成人の2分の1、つまり10歳になった子供(4年生くらい)に、「育ててくれた両親への感謝」を大勢の保護者の前で述べさせる、という儀式である。この儀式、現在、全国の小学校にじわじわと広がっているのだという。

 古谷氏は、親への感謝をするのは良いにしても、それは個々人が家庭でやればいい話ではないか、たとえば親の誕生日にでも手紙を渡せばよいだけのことだ、と指摘する。

「『育ててくれた両親への感謝』を小学校4年生が保護者の大勢いる面前で述べることに、合理的な妥当性がない。

 この世には、両親が離婚、或いは不幸にして死別して片親となった母子家庭、父子家庭が存在するし、また、さまざまな理由で両親の元を離れ、親類や養父母、または養育施設で育ってきた子供も存在するのである。

 ライフスタイルの多様化や家族観の変化により、昨今、離婚率が上昇傾向であることくらい、時事に詳しくなくとも常識で分かるはずである。ということは、『育ててくれた両親への感謝』という、この奇っ怪な儀式の前提条件を有さない子供たちも、少なからず存在すると思い至っても当然ではないだろうか」

 いや、両親だろうが片親だろうが、感謝する儀式なんて微笑ましくていいじゃないの。そう思う方もいるだろう。それに対して古谷氏はこんな視点を提示する。

「もし学校に民間人からなる第三者委員会が設置され、『2分の1成人式』が審議されれば、その前提条件がおかしいのだから、当然これは却下されるだろう。

 例えば株式を上場している巨大な民間企業ならば、『入社5年目の社員に対し、育ててくれた社長・上司への感謝式』などという奇っ怪な儀式を行うはずがない。それは株主総会という第三者に公開される公の場所での批判に耐えられないからだ(そんな事業内容を株主がYESとするはずはない)」

とんでもない教師

 組体操や2分の1成人式に縁がなかったとしても、学校の閉鎖性の産物の犠牲にあった記憶のある方は多いのではないか。かならず何人かはいる「とんでもない教員」である。

 古谷氏が中学生時代に経験したエピソードは強烈だ。なぜか生徒を番号で呼ぶのが常だったという技術家庭の教師は、ある時、「俺がとってきた自生の大麻」を生徒に自慢したという。生徒が発音を間違えると「バカ」「死ね」「腐れ脳」と罵詈雑言を浴びせる英語教師もいたという。

「社会科教師Aに至っては、40歳すぎのごく平凡な男だったが、鼻が大きいことが強烈なコンプレックスだったらしく、生徒が面白半分で『ハナ』などと全校集会中に陰口をたたいていると、『いま喋ったの誰だ!』と議事を中断して犯人探しを始め、犯人を特定するや馬乗りになってその男子生徒を頭蓋骨や背骨にこぶしが当たる音がはっきりと聞こえるほど乱打して、男子生徒が痛みに耐えかねてひとしきりうめき声を上げたとみるや、ストレス発散完了とばかりに意気揚々と引き上げていくのだ。むろんこの間、他の教師はその傷害行為を制止しないのである」

 さすがにここまで無茶苦茶な現場はもうないだろう(と信じたい)が、いじめなど学校で起きる多くの問題が、その閉鎖性に起因している可能性は高い。8万円制服問題にしても、校長が着々と計画を進めていることを、外部はほとんど知ることができなかった。これもまた学校という空間の閉鎖性ゆえである。

 8万円制服が問いかけているのは、かなり本質的な問題なのではないか。

デイリー新潮編集部