実の息子からも恨み節、写真集は“返本率9割” 「野村沙知代さん」猛女伝説

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向かうところ敵だらけ

 克也氏に再び監督業が回ってきたのが90年。3年後にはヤクルトを日本一に導いたが、サッチーの毒舌がテレビに蔓延したのもそのころだった。また、サッチーは克也氏から港東ムースという少年野球チームを引き継いだが、

「これまでの人生で一番きつかったのは、港東ムースで沙知代さんにお世話になった中学3年間でした」

 と、西武ライオンズなどで活躍したG.G.佐藤こと佐藤隆彦氏が述懐する。

「高校時代の練習も、プロでの練習も、あれを思えばはるかに楽でしたね。保護者に“褒めて叱って育てるのよ”と言っていたのを覚えていますが、全国優勝したときは喜んでくれました。中1のとき“シャキッとしろ、ジジイじゃないんだから”と怒鳴られたのがニックネームの由来です」

 とにかく猛々しい伝説に事欠かないサッチー、2000年には写真集を出版した。プロデュースしたモッツ出版の高須甚仁(もとじ)代表は、

「水着のほかバスローブ1枚で白人男性と抱き合う姿、泡ぶろに浸かる姿などを収録したチラリズムの写真集でしたが、すべてのカットに修整を入れなければいけない事態で、ページ単価がとても高くついたのに、初版5万部で返本率が9割を超えた。これまで412冊の写真集を作った中でワーストワン、僕の仕事の最大の汚点と言っていい」

 と回想する。

 ***

(下)へつづく

週刊新潮 2017年12月21日号掲載

特集「『略奪婚』に骨肉の争い! 死してなお恐ろし『サッチー』猛女伝説」より

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