この世界に暮らすすべての人の力に 生きることに寄り添った「コウノドリ」最終回

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 産科を舞台にした医療ヒューマンドラマ「コウノドリ」は、さまざまな出産、そして時には死と隣合せの過酷な医療現場のあり方を描いたシリーズだ。鴻鳥サクラ(綾野剛)、四宮春樹(星野源)ら産科の医師や、小松留美子(吉田羊)ら助産師たちの奮闘が、毎週出産を控えた患者に寄り添い、その姿は多くの視聴者を勇気づけてきたが、このたびそのセカンドシーズンが最終回を迎えた。

 最終回は、前回に引き続き出生前診断という重いテーマと、ペルソナ(サクラたちが勤める総合医療センター)のメンバーたちがそれぞれ選択した未来が描かれた。

 胎児がダウン症であると診断された高山透子(初音映莉子)の葛藤と、それがほぐされていく様子が丁寧に扱われたことは特筆に値する。前回では台詞で言及されたのみだった、ダウン症の家族会の様子が描写されたことも意義深いことだった。木村弓枝(奥山佳恵)の、周囲からいろんな憶測で言葉をかけられることより「(ダウン症の)あの子が元気ない時の方がつらいもん」という言葉は社会の現実を物語るとともに、親が子へ抱く、深い思いを示したものだった。

 たとえば、横浜市には親亡き後の障害者をサポートする「将来にわたるあんしん施策」があることはなかなか知られていない。その他の自治体でも、多くの手段がきっとあるはずで、未来を先んじて悲観するよりも、どんな時も希望を信じて歩いてゆける人が増えるように祈りたい。

 ドラマの中で紹介された、エミリー・パール・キングスレー氏の「オランダへようこそ」(1987)という詩は、ダウン症の子を持つ家族にはもちろん、人生のあらゆる困難に直面した人々に寄り添うものだったと感じた。透子は、両親たちにその詩を朗読して聞かせる。「でもイタリアにいけなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴らしさ、いとしいものを心から楽しむことはないでしょう」という一節には、私の人生はこんなはずじゃなかった、もっと今より素敵な自分を夢見ていた、そういう気持ちに折り合いを付けながら生きる人々すべてに寄り添う力があった。結婚する人、しない人、子どもを産む人、産まない人、仕事を続ける人、辞める人……あらゆる選択を尊重し、包み込むような詩だと思う。そして、ダウン症に限らずどんな障害であれ、親が我が子の障害を知ってからの受け入れ方、かかる時間は異なるだろう。「イタリア」という理想を諦めた傷は癒えないかもしれないが、誰もが、たどり着いた「オランダ」という場所をどうか慈しめるようになってほしいと願わずにはいられない。

 数年前の私が、とある舞台業界の関係者と、香川県・小豆島の海辺のカフェで話した出来事を思い出す。当時、勤めていた会社を辞めて疲れ果て、小豆島に長期滞在していた私に、彼は慰めの言葉をかけるわけでもなくただこう言ってくれた。「俺は、この生き方をしていなければ出会えなかった人たちには出会えているから、これでいいかな」と。折に触れて今も思い出すこの言葉が、「オランダへようこそ」という詩にリンクして、私の胸に響いた。

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