髭男爵はトリオだった!? 山田ルイ53世が語る結成秘話

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 2008年に「ルネッサ~ンス!」で大ブレイクしたコンビ、髭男爵。だが実は、髭男爵は当初、トリオとして結成された。木造ボロアパートから始まった髭男爵の結成秘話を、ツッコミ担当の山田ルイ53世が自ら描く。

(以下「新潮45」12月号「一発屋芸人列伝」より一部抜粋)

 ***

 その日、僕は3畳1間の自宅に居た。

 当時の僕はピン芸人……1人で活動しており、その日もネタ見せに向かう為の準備をしていた。そろそろ家を出ようかと思ったそのとき、

「ゴンゴン! ゴンゴンゴン!」

 築50年近い襤褸アパートの木製の引き戸が、激しく叩かれる。今にもドアが蹴破られ、FBI捜査員が雪崩れ込んで来るかのような勢い。堪りかねた僕が、

「開いてるよーーー!」

 扉の向こうを怒鳴りつけると、

「ゴリ……ゴリゴリゴリ」

 およそドアのものとは思えぬ摩擦係数が生み出す、“天岩戸”顔負けの音と共にドアが開き、2人の男が現れた。

 物珍しそうに僕の部屋を見渡している男は知らぬ顔だが、もう1人には見覚えがある……市井だ。見知らぬ男の値踏みするような態度に苛立った僕は、

「何?」

 久し振りの再会にも拘わらず、ぶっきら棒に尋ねる。すると、慌てた市井が取り成すように、男は樋口という名であること、市井と樋口、そして僕の3人でトリオをやりたいということ……用向きを説明し始めた。

 詳しくは、拙著『ヒキコモリ漂流記』に任せるが、兵庫県の田舎、三木市に生まれた僕は、中学受験で名門私立校に合格し神童と謳われた時期もあったが、中2の夏にウンコを粗相したことが引き金となり、6年間に及ぶ引きこもり生活に突入。20歳になる前に、何とか終止符を打つべく大検を取得し、四国の大学に潜り込んだが、そこでも程無く挫折。学校関係者や友人、両親にさえ何も知らせず失踪同然で上京し、東京NSCに入る。そこで出会ったのが、市井である。

 東京NSC3期。同期には、トータルテンボスや永井佑一郎、後のAMEMIYAがメンバーでもあったノンストップバスなどが居る。僕と市井は養成所時代、1度か2度コンビを組んだ仲。

 しかし、大した結果も出せず、その内、彼は養成所を辞め、姿を見なくなる。僕も市井から遅れること数カ月、養成所を去り、フリーのピン芸人として活動していた。と言っても、小さなライブに1度か2度出た程度。正直、お先真っ暗な状況である。月に何度かのネタ見せ以外は、最低限の食を確保するため肉体労働の日雇いのバイトに精を出す毎日。感傷的な物言いはお許し頂きたいが、引きこもり生活でそれまでの“自分”を全て失い、社会から滑落していた僕は、

「人生が随分と余ってしまった……」

 という虚無感に囚われたまま生きていた。自分の経歴では、碌な就職口もない。大袈裟ではなく、芸人を辞めたらもう死ぬくらいしか選択肢がない。そんな考えに苛まれていた時期でもある。(略)

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