仏映画黄金時代を支えた大女優 「ダニエル・ダリュー」逝去

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 10月17日、フランス映画界の名花ダニエル・ダリューさんが逝去。享年100。

 大の仏映画好きで知られる作家・タンロミさんが語る。

「驚きました。まだ御存命だったとは……封切で最後に観た『8人の女たち』が2002年の作品。カトリーヌ・ドヌーヴも美しかったが、それ以上にダリューが素敵でした。知的なのに享楽的。あんな女優さんは他に見当りません」

「驚きました。まだ御存命だったとは……封切で最後に観た『8人の女たち』が2002年の作品。カトリーヌ・ドヌーヴも美しかったが、それ以上にダリューが素敵でした。知的なのに享楽的。あんな女優さんは他に見当りません」

 ダリューは、フランス南西の街ボルドー生まれのパリ育ち。父親は医者、女優を志す前は音楽学校でチェロを学んだ。映画デビューは1931年、14歳で「ル・バル」主演というからキャリアは長い。36年シャルル・ボワイエと共演した「うたかたの恋」で一躍国際的スターになった。

「古典的美女として人気を二分し、『肉体の悪魔』(47年)で記憶されるミシュリーヌ・プレールも息の長い女優でしたが、ダリューはそれ以上。『赤と黒』(54年)でのジェラール・フィリップとのラヴ・シーンは最高です」

 60年代には、歌手として素晴らしい声も披露、レコードもヒットした。だが第2次大戦中は、この名花にも暗雲が垂れ込めた。

「ドイツ占領中も演劇活動を行ったためにナチ協力者と批判されたのです。おまけに42年に結婚した2人目の夫(ドミニカ共和国の外交官ポルフィリオ・ルビロサ)が反ナチ発言の廉(かど)でドイツに強制移住させられた際、ダリューは夫の解放を条件に女優としてベルリンで活動します。これも非難の的になりました」

 戦後は活躍の場をハリウッドに移した時期もあるが、結局フランスに戻り、最期まで仏映画黄金時代を支えた大女優として君臨した。

週刊新潮 2017年11月2日号掲載

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