「日航機」御巣鷹山墜落 搭乗を間一髪逃れた人々がその後の人生を語る

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「助けられた命」

 何も知らないまま、駐車場に停めておいた車で、大阪・寝屋川市の自宅に向かった。だが、その頃、近所では大騒動になっていた。

「その日、踊りのお稽古を公民館でやっていたんです。“主人が乗っているかもしれない”と話すと、“踊っている場合やない”と言われて。みんなとうちに引きあげてきて、近所の人に空港に送ってもらおうかと相談していたんです」(夫人)

 そこに当の大西が帰還。

「近所の7、8人が拍手喝采で迎えてくれるんです。“ワー、帰ってきはった”と。何事やと思ってね。そしたら飛行機落ちたと。振り返ると、ほんまに紙一重のところをくぐり抜けてきたなと。もし釣り竿の修理をしてなかったら、あるいはもっと強くクレームをねじこんで、万が一、席が取れていたらと思うとね」

 こう話したあと、大西は「そういえば……」と、あることを語り始めた。

 それは日航機墜落事故から1年後の7月のこと。三重県で釣りをした帰り、後輩が運転する車が奈良県の山中で交通事故を起こし、助手席で寝ていた大西は重い脳挫傷を負って、意識不明の重体になった。一時は、「植物状態になることも覚悟してほしい」と言われるほどだった。

 担ぎ込まれた山あいの病院には普段、脳外科の専門医は常駐していないのだが、その日は偶然専門医が当直していた。その医師の点滴治療が著効を示し、奇跡的な回復を果たすことができたという。

「私の意識が戻らないとき、知人の紹介で家内が奈良の真言密教の寺にお参りにいったんです。そこで住職に、“ご主人の足を誰かが引っ張っているから大丈夫”と言われたと。信心深いほうではないけど、妙に説得力があってね。だから助けられた命なんですよ」

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