憲法9条が自衛隊を押し潰した――元陸将が説く“PKO部隊で嫌われる日本”

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■隊員が容疑者に

 PKOは、国連による世界平和を維持するシステムである。紛争中の国家や武装集団が停戦合意に達した。しかし政情は不安定で、いつ交戦状態に戻るかわからない。そこに国連の軍隊が入って緩衝地帯を築き、再び戦争を起こさせないことが目的だ。主要な活動は、パトロール、休戦協定違反の防止などにある。

 1948年以来70年近い歴史を持つPKOに、日本は92年から参加している。参加は、①停戦合意の成立 ②紛争当事者の受け入れ同意 ③中立的立場の厳守 ④上記が守られない場合は撤収可能 ⑤最小限の武器使用の「5原則」を前提としている。

 これらからわかるように、伝統的なPKOの任務は停戦状態の維持にある。今でも政治家やマスコミは、これを前提に議論を行うことが少なくない。

 しかし、実は、現在、PKOの任務は一変している。きっかけは94年のルワンダ内戦だ。ルワンダでは、PKO部隊の目の前で数十万人もの無辜の市民が虐殺された。PKO部隊は何もできなかった。中立であるべき彼らにとって、虐殺を止めることは一方の紛争当事者に加担することとなり、そのための武器使用は「任務外」だったからだ。

 この悲劇から、PKOはその任務を「自らが交戦主体となることも厭わない住民保護」へと劇的に転換した。すなわち「PKO部隊は中立的立場を捨て、戦闘も行う」と宣言したのである。以後、コンゴPKOなどを筆頭に、この傾向は強まるばかりである。

 こうなれば、想定外の事態は起こりえるし、危険度は増す。従来の牧歌的なPKOを前提に行動を定められた日本の自衛隊との間に“ゆがみ”が生まれた。

 例えば、PKOに参加した自衛隊員が人を殺めた場合だ。仮に、自衛隊員が戦闘に巻き込まれ、自衛、あるいは任務遂行のために発砲した銃弾が民間人に当たって相手が死んでしまったとする。こうした場合、PKO部隊の兵士はそれぞれの派遣国の軍法会議によって裁かれることになっている。隊員の行為が適切だったか否かは、日本自身が裁くほかない。

 ところが、そもそも日本国には「軍隊」が存在しないため、当然、軍法も軍法会議も存在しない。では、日本がこの自衛隊員を裁く時、適用される法律は何か。究極的には刑法199条の「殺人罪」しかないのである。

 憲法9条により交戦権を否定している日本では、専守防衛以外で、自衛隊員が任務のために人を殺傷する事態をまったく想定していないのだ。にもかかわらず、いまや交戦権の主体となることを宣言しているPKOに自衛隊を参加させている。この矛盾は、現場の隊員が個人で背負うことになる。国家の命令で危険地帯に派遣され、任務上で過失を犯しても国は守ってくれない。それどころか、いざとなれば、隊員個人が容疑者として裁判にかけられかねないのである。こんな不条理な話があるのだろうか。

(注:本稿における現場の苦心談は、筆者が現職時代に後輩隊員たちから聞いたものであり、文責は筆者にある)

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(下)へつづく

特別読物「南スーダン撤退で『PKO』派遣ゼロ!『憲法9条』が自衛隊を押し潰した――福山隆(元陸将)」より

福山隆(ふくやま・たかし)
元陸上自衛官。元ハーバード大学アジアセンター上級客員教授。1947年、長崎県生まれ。70年、防衛大学校(応用化学科)卒業。95年の地下鉄サリン事件では、第32普通科連隊帳として除染部隊の指揮を執る。第11師団副師団長、西部方面総監部幕僚長などを歴任し、2005年、陸将で退官。近著に『米中は朝鮮半島で激突する』(ビジネス社)。

週刊新潮 2017年6月8日号掲載

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