山田邦子、バラエティ番組での乳がん発見に「元気印の私が?」 がんに打ち克った著名人

ライフ週刊新潮 2017年2月16日梅見月増大号掲載

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 医療をテーマにしたバラエティ番組に出演したことで初期のがんを発見できたのが、タレント・山田邦子(56)である。

 全速力で駆け抜けた「オレたちひょうきん族」の終了からおよそ20年が経過し、山田は40代半ばに差しかかっていた。

 2007年3月、テレビ番組「たけしの本当は怖い家庭の医学」で、「乳がんのチェック法」を出演者みずから試すことになったのだ。

 ゲストに迎えられた乳腺外科の土井卓子(たかこ)医師は、「軟らかい肉まんを指の腹で押して、硬い梅干しの種にコソッと触る感じ」と説明。番組収録中におやっ?と思い、自宅で改めて乳房を押すと、右胸に“種”を感じた。

 朝一番で土井医師に連絡して検査を受けたところ、初期の乳がんと診断。

「元気印の私が? 本当にがん? と驚きましたが、サバサバした先生なので、動揺することはなかったですね」

 土井医師は、山田宅の近隣で名医のいる病院を紹介してくれた。

 がんは右胸に2個、いずれもステージ1。左胸には将来40%の確率でがん化する組織があり、これも切除することになった。

 手術までは体を休めておいてと言われたけれど、それに逆行するように、山田は家の大掃除に取りかかったのだ。

「さっぱりした気持ちで手術に臨みたいというのもあったのかな。残していた資料も、宝物だと思っていた物もさほど価値がない、命より大切なものはないんだってこと。捨てたらトラック1台分になって、笑っちゃったし、スッキリしました」

 いわば断捨離だった。手術が終わり、夏の間の2カ月に亘って放射線治療を受けた。その期間中、友人からもらった乗車カード「スイカ」でバス通院したのは楽しく、得るものも大きかった。

「バスって座席が高い位置にあるから、町のいろんな景色が見えるんですね。バスに乗るのは三十数年ぶりで、いろんな人を間近で見ることができた。みんな朝早くから働いて、子どもの世話してね。芸能人なんて昼頃になってようやく目覚めるのに。それまで周りが全部用意してくれていたけど、自分でいろんなことができるようになった。人として成長できたと思います」

 今さらながらの些事であっても、がんを経た後の時間はそれまでよりもうんと重く感じられるというわけだ。そのうえ、以前は鯨飲と呼べるほどだった酒量も激減。辛くはない。身体が欲しないのだ。

「お笑い芸人はのたれ死にこそ理想だと思っていましたが、バカですね。健康ほど素晴らしいものはない」

 そう言って、破天荒な人生に憧れがちな芸人たちにさらっと釘を刺すことも忘れない。

 08年には、がん患者や家族を勇気づけ、がんの早期発見を呼びかけるべく「スター混声合唱団」を結成した。日野原重明、倍賞千恵子、コシノジュンコ、瀬川瑛子ら約70人がメンバーで、チャリティコンサートを月1回、全国で開催。自分のために歌う日でもある。

特別読物「がんに打ち克った5人の著名人 Part5――西所正道(ノンフィクション・ライター)」より

山田邦子
1960年生まれ。司会者、女優、小説家としてマルチに活躍。NHKラジオ第1「日曜バラエティー」の司会、最近出演した映画に「土佐の一本釣り」がある。

西所正道(にしどころ・まさみち)
1961年奈良県生まれ。著書に『五輪の十字架』『「上海東亜同文書院」風雲録』『そのツラさは、病気です』、近著に『絵描き 中島潔 地獄絵一〇〇〇日』がある。