松竹、創業の地をホテルに 京都「阪井座」物語

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2月7日に発表(松竹プレスリリースより)

 映画に演劇、そして歌舞伎……エンターテインメントの一大コンツェルンともいえる松竹の創業の地をご存知か。

 銀座の歌舞伎座にほど近い松竹本社に移ったのは戦後のこと。創業の地は京都・新京極の「阪井座」だった。松竹はこの跡地を9階建てホテルに建て替えることを発表した。耐震工事のため一時休館となっている四条南座に続き、松竹の芝居小屋が消えていく?

「いえいえ、現在は京都松竹第3ビルという建物で、2001年までは映画館、最後はテナントビルでした。ホテルにするのは訪日外国人が増えたためです。この地にかつてあった芝居小屋が阪井座で、創業者がこの運営を任された1895(明治28)年を松竹創業の年としています。もっとも当時は“しょうちく”でなく“まつたけ”と呼ばれたそうです」(松竹不動産部)

 なぜ“まつたけ”かといえば、

「双子の創業者、白井松次郎と大谷竹次郎から取られたもの。相撲興行の売店の子として働き、劇場経営に進んだ立志伝中の人物です」

 とは早稲田大学教授で演劇評論家の児玉竜一氏だ。長男の松次郎は婿入りしたため白井姓になったという。

「天才興行師と言っていい。阪井座を手に入れたのはまだ10代ですからね。歌舞伎に限らず当時の興行と言えばヤクザが絡むものでしたが、それを会社組織として運営するシステムに替えたのが、1877年生まれのこの兄弟です」

 兄は上方、弟は東京を担当し、国内の劇場を手中に収めていく。東京の歌舞伎座を買収するときには、東京の興行師からの反発もあったようだ。

「ただの経営者ではなく、プロデューサーとして活躍しました。伝統を守りつつ時代に合った新作を手がけていったのです。特に竹次郎は作家を発掘し新作を書かせました。有名な『元禄忠臣蔵』は昭和初期に真山青果に書かせたもの」

 おかげで現在、歌舞伎は松竹の独占といっていい。

「商業主義と批判された頃もありましたが、歌舞伎にもビジネスの一面がありますからね。むしろユネスコの無形文化遺産に登録された伝統文化を私企業が守ってきた希有な例でしょう」

 歌舞伎存続のため、不動産業も頑張って貰わないと。

週刊新潮 2017年2月23日号掲載

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