実は最近? 力士の口上と「四字熟語」の関係

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「やはり四字熟語の四字熟語たる重みを見せつける言葉としては『不撓不屈』がパイオニア」と能町さん

横綱に昇進した稀勢の里の伝達式が昨日、行われた。ここで述べられた口上は「横綱の名に恥じぬよう、精進いたします」というもの。これがニュースで伝えられると、「口上って、四字熟語じゃないの?」「いや、分かりづらい言葉よりむしろ素直でいい」など、ネットにはさまざまな声が上がった。

大相撲にさほど関心のない人でも、「力士の口上には聞き慣れない四字熟語が使われるもの」と、なんとなくイメージしている人は多いのではないだろうか。かといって、これまでの口上でどんな表現が使われてきたかと問われると、具体的に挙げられる人は少ないだろう。

相撲愛好家としても知られるエッセイストで漫画家の能町みね子さんは、現在発売中の雑誌『考える人』に「四字熟語で相撲道」と題したエッセイを寄せている。そこで能町さんは、「四字の熟語だけがなにがしかの重みを持つに至るには、大相撲のいわゆる口上が果たした役割も大きいと思うのです」と綴り、口上で四字熟語が使われるようになったことが四字熟語の権威づけに一役買ったのではないかという見解を述べている。

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そもそも四字熟語とは漢字四字で出来ている熟語すべてを指すが、それがとりわけ故事成語など格別な意味のありそうなものを指すニュアンスでも使われるようになったのは、1980年代前後のことであるらしい。三字熟語でもなく五字熟語でもなく、四字熟語だけが言葉の一ジャンルとして話題にされるようになったのは、その頃からなのだ。

能町さんはエッセイのなかで、聞き慣れない四字熟語が最初に力士の口上に使われて人々の注目を集めたのは、1993年の貴乃花(当時・貴花田)大関昇進時のことだと振り返っている。

「今後も不撓不屈(ふとうふくつ)の精神で、相撲道に精進致します」

能町さんは「それ以前も、四字熟語を探せば唯一『一生(所)懸命』くらいは見つかりますが、やはり四字熟語の四字熟語たる重みを見せつける言葉としては『不撓不屈』がパイオニア」と述べている。

そして同じ93年、若乃花(当時・若ノ花)が大関昇進時に「一意専心(いちいせんしん)」という言葉を使ったことから、「口上ではなにやら耳に新しい四字熟語を言うのが恒例のように」なっていったらしいのだ。

「紋付袴で大銀杏を結った堂々たる新大関が親方とともに金屏風の前で伝達の使者を迎え、ドーンと放つ重厚な漢字四字。『四字熟語はなんだかカッコいい』という認識を世に広めるには一役も二役も買ったのではないでしょうか」(能町さんのエッセイより)

以来、94年には貴ノ浪の大関昇進で「勇往邁進(ゆうおうまいしん)」、同年末の貴乃花の横綱昇進では「今後も不撓不屈の精神で、力士として相撲道に不惜身命(ふしゃくしんみょう)を貫く所存でございます」とまさかの二つ重ね、98年には若乃花の横綱昇進で「堅忍不抜(けんにんふばつ)」と、口上のなかに四字熟語が連発されていく。

この伝統は、若貴が所属していた二子山部屋から同じ二所ノ関一門の佐渡ケ嶽部屋へと引き継がれたようで、2007年には琴光喜の大関昇進で「力戦奮闘(りきせんふんとう)」、2011年の琴奨菊の大関昇進では「万理一空(ばんりいっくう)」が使われている。ちなみに現在の相撲界を代表する横綱・白鵬の口上で使われたのは、「精神一到(せいしんいっとう)」だ。

一方、エッセイでは、口上には四字熟語とは別の潮流もあることが紹介されている。「日本の心を持って」(武蔵丸・大関昇進)、「力の武士(もののふ)を目指し」(出島・大関昇進)、「大和魂」(豪栄道・大関昇進)などの“和”路線のほか、「これからもなお一層稽古に精進し、横綱として相撲道発展のため一生懸命頑張ります」(朝青龍・横綱昇進)、「大関の名に恥じぬように稽古に精進します」(琴欧洲・大関昇進)、「横綱を自覚して、全身全霊で相撲道に精進します」(日馬富士・横綱昇進)などの“個性を出さない”路線もあるというのだ。

口上のターニングポイントとなった93年の「不撓不屈」以前はどうだったかというと、「大関の名に恥じないように稽古に励みます」(小錦・大関昇進)など、背負った地位や名を“汚さない、恥じない”ようにするというニュアンスが今以上に強かったと能町さんは書いている。すると今回の稀勢の里の口上は、“貴乃花以前”の流れを汲むものと言えるのかもしれない。

ちなみに能町さんは今回の稀勢の里の口上を、どのように受け止めたのだろうか?

「そもそも、口上への注目は若貴頃から始まったことで、本来はそんなに耳目を集めるポイントでもありません。愚直な相撲っぷりと同じように、稀勢の里は大相撲中継のインタビューでもこれといって奇をてらいませんが、今回の口上は不器用ながら真摯に相撲に取り組む稀勢の里らしいものだったと思います」

口上には、やはりその力士の“らしさ”が表れるものなのだろう。
四字熟語であれ、別の表現であれ、「口上でどんな言葉が発せられるか」と世の中が固唾をのんで見守り、後にそれについてわいわい語り合うという大相撲の楽しみ方は、これからも続きそうだ。

出典:『考える人』2017年冬号 「ことばの危機、ことばの未来」特集

デイリー新潮編集部

2017年1月26日掲載

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